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マイホーム作戦の始まり(2)

2020年3月31日「火曜日」更新の日記

2020-03-31の日記のIMAGE
ところで、利便性とか快適性とかにかかわる住宅地の地域要因を的確に探り出すことは、実のところ、なかなかむずかしいのですが、基本的な要因については、やはり現地を調査し、いろいろ考えてみることが肝要でしょう。
気象の状態はどうか
日照、温度、湿度、あるいは風向などの気象条件の良否は、当然のことながら、居住の快適性を大きく左右します。できるだけ現地に足を運び、実際に肌で感じとることが望まれます。・
社会環境はどうか
居住者の職域、階層等の社会環境はどうかを知らなければなりません。社会環境の良否がその住宅地域の品位に大きく影響を及ぼすからです。
街路の状態はどうか
街路の幅員、舗装、配置、連絡系統等の状態は、住宅地域の効用に影響を及ぼします。・都心との距離および交通施設の状態はどうか都心との距離は物理的なものではなく、時間的な距離を重視し、そのためには、交通施設との関連に注目すべきです。つまり、鉄道、バス、高速道路、駅、停留場、インターチェンジ等の交通施設の状態が、住宅地域の水準判定の要因になるということです。
商店街の配置はどうなっているか
日常生活の需要に応ずる商店街が、住宅地域とどのような位置関係にあるかによって、地域の利便性が左右されます。
供給・処理施設は整備されているか
上水道・ガス等の供給施設や、下水道のような処理施設の整備の度合いは、居住生活の利便性に基本的な影響を与えます。学校、公園、病院等の配置はどうなっているか小中学校に隣接することは、騒音の面ではマイナスの要素がありますけれども、住宅地域からの便利な位置にあればプラスの要因となります。さらに公園、病院、診療所等の施設が住宅地域とどのような位置関係にあるかは、住民の生活の利便に大きなかかわりをもっといえましょう。
画地の状態はどうか
住宅地域の各画地の面積(狭小過密ではないか)、配置(整然と区画されているか)、利用(住宅専用か、店舗兼用か、アパート等に利用されている地域か)等によって、住宅地域の品位が異なってきます。マイホームの立地条件の良否判定は、少なくとも以上のような地域要因について、利便性と快適性を念頭におきつつ、吟味してみることが大切なのです。 午後7時にやっと仕事が終わり、家から自転車で20分のところにあるモデルルームへ急いだ。まだ寒さきびしい2月の夜、白い息を外と口からハァハァ言わせ、自転車をかっ飛ばした。暖かいモデルルームに着くと、Sさんが待っていた。あいさつもそこそこに手続きをする。まずは購入予約金の10万円を現金で支払う。この10万円を払ったら、もうマンションを買うということ。万一、その後キャンセルをしたとしても、10万円は返ってこないのだ。もちろん、この0万円はマンションの購入代金の一部に充てられる。そして、申し込み順位の保全金ともなり、もしわたしのあとにだれかが「買います」と言ってお金を払っても、先に払っているわたしに優先権がある。「このたびは、お買い上げ、誠にありがとうございます」Sさんはそう言うと、領収書と『マンションの購入ハンドブック」という冊子をわたしに差し出し、その冊子をもとに、入居までの簡単な説明をしてくれた。そのあと、住宅ローンを申請するための書類を渡してくれる。もちろん、お金がたくさんある人で、すべてを現金で購入できれば、ローンを組む必要はない。当然のことながら、わたしの場合、頭金を支払うので精いっぱいなので、お金を借りなければならない。その夜は、いろいろなことが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。昨日の夜、あんなに落ち込んでいたのに、1日経っただけで、状況は180度変わっている。「あのマンションに本当に住めるんだろうか?これが夢だったら、どうしょう?だれか、わたしのほっぺをつねって!」こんなふうに、心の中はふわふわ浮いていた。でも、信じられないほどのうれしさの反面、疑問も湧いてくる。「これで本当によかったんだろうか?わたしの目標はあの魔法びんみたいな木の家ではなかったのか?」そんな思いの中、胸の鼓動がいつまでも高鳴り、その日もなかなか寝つけなかった。 給料、手取り約20万円というのは、23歳にしてはわりといいほうだったかもしれない。これは、深夜手当と残業手当があったおかげだ。手当がなければ、8万円そこそこ。少しでも収入を多くしたいと思い、深夜勤務は自分で申し出たのだった。2万円の中で、家を買うための貯金をしていかなければならない。家計簿には、使ったお金を記入するだけでなく、予算を立てて管理していたが、予算を立てるときは、最初からあまりにもきびしい数字にすると続かなくなってしまう。そこで、前の月にいくら使っているか書き込んだノートをもとにして、無理のない予算の数字を考えた。まず、家貨の5万円と新世代3600円は固定の出費。電気代の予算が3000円、水道代2000円、ガス代2000円、電話代3000円、そして、それらを除いた生活費の予算を3万円とする。生活費の予算の内訳は、食費1週め2000円、食費2週め2000円、食費3週め2000円、食費4週め2000円、食費5週め2000円、日用雑貨代2500円、洋服代2500円、本代1000円、おこづかい1万4000円とした。予算が決まったら、それに沿って、袋分けをすることも大切だ。せっかく予算分けをしたのに、現金すべてを同じお財布に入れておくのはどんぶり勘定の危険性が高く、意味がなくなってしまうのではないかと考えたからだ。まず、銀行のかわいいキャラクターのついた封筒を数枚もらってきて、それを使うことにする。封筒だって買えば、少なくとも100円はかかってしまう。お金を貯めると決めたら、お金を使わないことが最低条件だ。もらってきた封筒の一枚一枚に、それぞれ項目と予算金額を書いた。そして、給料日の翌日、銀行に行き、生活費の3万円を下ろす。お金を下ろすのは月に1回、このときだけと決めていた。もちろん手数料のかからない時間帯を選ぶ。ときどき、銀行をお財布代わりにしている人がいる。手持ちのお金がなくなると、銀行に行き、1万円とか2万円を下ろすというタイプだ。これだと、一度に下ろす金額は少なく、一見、あまり使ってないように思えるが、回数を重ねると、知らず知らずのうちにたぬくさん使っていることがある。 いまや夫と妻だけとなったら「リビング」もそれまでとは様変わりしてもいい。つまり「私たち」だけの、あるいは、「私」だけの部屋になるのだから。だとしたら、「私は毎日何を楽しみ、大切にしているのか」に徹底してもいいのではないか。いつも友だちに来てほしい。その「会話」こそが自分の生きている楽しさ、証し、と思うなら、10畳から一二畳くらいを夕タミ敷でもソファに床暖房でも、要はゆったりくつろげることを主にしたらいい。趣味が生きがいで日本舞踊をしているなら、せめて六畳分くらいの板の間と座った視線で見る場がいるだろうし、お茶が好きなら四畳半でも六畳でもよいから茶室とそれに付属する水屋が必要であろう。またピアノを弾くなら一二畳くらい。読書三昧でというなら周辺すべて天井まで本棚にして、後はハイバックチェアとライティングデスクを置いて八畳......と、ことほど左様に、「自分が好きなこと」「大切にしたいこと」「生きている限り続けたいこと」に焦点をしぼってリビングを考えればいいのではないか。その際足腰が冷える年頃なのだから、できれば床暖房を欲張りたい。人生五〇歳までは、自分だけではなくむしろ自分を殺して他との関係を大切に生きてきたのだから、それから先は、自己も完成して「自分の好きなこと、やりたいこと」も見えてきた年代なのだから、ここは一番エイヤッと気合を入れて、自分のしたいままに、自分のあるがままに、すなわち「我が儘」な空間を手に入れよう。それが私のリビング。リブ、生きていること。我が儘に生きているリビング・ルーム。[小さなコメント]・リビングの広さは一〇畳はほしい。いまのマンションは六畳が基準だけれど、我が儘、な空間にするなら、最低でも一〇昼。・リビングの暖房にはさまざまな方式があるが、昔からいう頭寒足熱、足腰があたたかければ体全体あたたかく感じ、行動がなめらかになる。そのためには床暖房が望ましい。あとは好き好き、コタツも火鉢もよい。ただし補助的に。リビングの天井は、同じ面積でも天井が高いと、ゆったり感じる。・コンセントは豊富にあったほうがいい。音楽を聞いたり、パソコン、簡単な調理、雰囲気を出す照明、テレビ、カラオケ等々のために数を多くほしい。そのためにはいまや家庭でも三〇アンペア以上はみておきたい。・決まりきった家具は置かない。いわゆる三点セット、五点セットを置いた途端に、「あなた」までが決まりきった人に見えかねない。このセットから自由になって自由に必要な家具が選べたら、それが「私だけ」の空間の第一歩。 いきなり逆境におちいって
十余年の長い看病の末、父親を亡くした名古屋に住む加藤和子さんは、八三歳の母親と自分たち夫婦がどうかかわっていくか、真剣に考えた。和子さん夫婦は父親が病気で倒れたとき、自分たちの住まいを整理して父母の希望で両親と同居し、父親を母親とともに家庭介護した。共働きの和子さんは、日中は母親に看病を任せ、夜と休日は自分が看病するシフトで十余年、父親をみてきた。そんな母親をひとりにすることはもちろんできないし、家で最後まで共に暮らそうと、和子さんは決意した。母親もそれを強く願っていた。ところが、父親の死後、遺産相続問題が二人の兄からもちあがった。和子さんは三人きょうだいの末娘。そのひとり娘に母親が老後を預けたので、話がややこしくなった。まず二五〇坪の土地屋敷を母親が半分相続し、あと半分を三人で分けることに話は落ち着いた。同時に、母親の権利分は和子さんが共に住むことで、生前贈与を受けることも、兄たちの同意で決まった。一件落着、まずはめでたしと本来はなるはずだが、そうは問屋が卸さない。現状維持のままでは、贈与税と兄たちへの分け前分のお金が出てこない。和子さんは母親と夫と三人で話しあった。土地の三分の二近くを売れば、建て直しをする費用も捻出できるが、このまま売らないとなると借金をしなければならない。五七歳(夫は五九歳)で借金をするのは荷が重かった。夫の定年がすぐ目前、とうてい数億もする額は夫婦両方の退職金をあてても間に合わない。和子さん夫婦は、いっそのこと、家と土地を売ってマンション住まいにしようと、母親に申し出たが、母親は住みなれた庭のある家にこだわり、なかなか結論は出ないまま半年が過ぎていった。そんなある日、夫が脳溢血で倒れ、あっという間に亡くなってしまった。頼みの夫を失い、和子さんは途方に暮れ、一時期は死をも考えたが、老いた母親をひとりぼっちにはできないと思いとどまった。それぞれ夫を前後に亡くした母娘は、二人肩を寄せあって生きていくしかなかった。その上に、五八歳の定年が目前に迫っていた。退職するか、二年非常勤で勤めるか、待ったなしで、人生の重い選択が待っていた。和子さんは前者の五八歳定年を選んだ。そして、フリーとなり、仕事で知りあった人たちと一緒に、企画、編集、イベント事業をやっていくことにした。 リビングはLDにし一六畳ほどとり、キッチンはこぢんまりしたものにした。LDはフローリングにし、床暖房を取りいれた。このLDの床暖房は部屋全体があたたかく、実に快適である。本来は玄関脇の洋室を寝室にするつもりだったが、現在は、趣味室にと考えていた約九畳の部屋を寝室にしている。現在の寝室(趣味室)も床暖房にしたかったが、費用がかさむことと、ガス代のランニングコストを考えて、いちばん長時間を過ごすLDの部屋だけをガス温水床暖房にした。それに二人の娘たちが泊まりに来てもいいように、また客が泊まっても困らないように四畳半を二間続きでつくった。和室を二間つくるのはぜいたくかとも考えたが、和室なら自由に幅広く使える。自分の趣味と仲間とのつきあいの部屋にもなり、多目的を頭に描いて決めた。浴室とトイレ、洗面所は友人がお姑さんを呼び寄せたときに改良したのを見せてもらい、それを参考にして仕切りをなくし、手すりもつけられるようにし、全体にフラットにした。最初、夫はこのサニタリーのつくりが落ち着かないと不平不満を並べたてた。そのために、トイレと浴室の間は折りたたみ式ドアにした。折りたたみ式ドアなので、自由に仕切りができ、開閉も楽で、夫もこれで納得した。玄関は友人のアドバイスで、二〇年先のことを考え、段差をなくしてフラットにした。これも夫のひんしゅくをかった。靴をぬくところと上がりかまちの段差がないのが落ち着かないと文句を並べるのだ。そこで段差の代わりにマットを敷き、そこからが上がりかまちと廊下との境目と教えこみ、習慣づけた。こうしておくと、外からの埃の吹きこみも防げるからだ。二階、三階は2LDKとし、あとは住み手が自由に住めるようにして貸した。こうして増改築を成功させたあとも君江さんはパートを続けている。住み心地は最高で、幸せそのものだった。そんなとき、バブルがはじけて、夫の会社にも不況の波が押し寄せていた。管理職以上のベースダウンが実施されはじめた。その後、五〇歳以上の希望退職者を管理職から募るという噂が社内に立ちはじめた。退職まであと二年を残している君江さんの夫に風当たりは強く、内々に勇退が求められた。重役昇進の話は不況に入って泡と消え、重役どころか、もっと深刻な勇退となったわけだ。関連会社への転職もすべては夢と消えた。幸いに、前から話のあったある企業から、週三日、コンサルタントとして技術指導をしてほしいと要望があり、渡りに舟と、夫はいまその仕事に取り組んでいる。八年前、君江さんが計画した、定年後の安定した夫婦二人暮らしのプランがみごとに的中したわけだ。君江さんは「ほんとうに、あのとき思いきって増改築をしておいてよかった」と自分の先見性に驚いている。いま夫は君江さんに頭が上がらない。勇退の退職金の条件がよかったので、全額ローンの返済にまわし、それでも少し残ったローンは、二年後に受けられる企業年金と厚生年金で返済できる見通しもついていいまでは家賃収入が二人の経済をしっかりと支えてくれているわけだ。年金は条件のよい五年後にまわしてもよいと、君江さんは夫と話しあっている。悠遊生活とまではいかないかもしれないけれど、君江さんの老後の計画が、二人の生活とこれからの生き方を明るくし、楽しいものにしたことは確かだ

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