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マイホーム作戦の始まり

2020年3月30日「月曜日」更新の日記

2020-03-30の日記のIMAGE
マイホームをもつということは、多くの人々にとって、大きな夢の一つです。その夢を実現するために、あなたはどんなュースを選ぶでしょうか。土地の手当から入るコースですか?建売住宅購入、マンション購入、あるいは中古住宅購入のュースですか?それとも、買替えのコースですか?いずれのコースを選ぶかは、資金、時間的余裕、魅力、買いやすさ、家族構成など、いろいろな観点から検討を加えなければなりません。また、どのスースを選ぶにしても、具体的な行動を起こす前に、まず考えておかなければならないことがあります。それは以下のようなことであり、あなたのマイホーム作戦は、ここから始まるのです。
マイホームの立地条件
建物は土地の定着物ですから、土地と同様にその位置は固定しています。したがって、マンションであれ、一戸建て住宅であれ、マイホームの選定は、まず住宅地としての立地条件が大切な判断要素となるのです。個々の土地の善し悪しの見分け方については、第3章(2~8頁)で詳述していますので、ここでは、マイホームの立地条件の良否判定のポイントについて考えてみましょう。公共施設がたくさんあるかあなたが通常考えることは、生活の利便を満足させる公共施設、あるいは公共性のある施設がたくさんあればあるほど、住宅地としての効率は高いということではないでしょうか。公共施設、あるいは公共性のある施設には、小中学校、消防署、番察派出所、市役所や町村役場かその支所、鉄道の駅、公民館、図書館、公園、郵便局、銀行、医院、診療所、商店街などが挙げられます。大規模な住宅団地では、デベロッパーは造成の際、公共施設の整備を自治体から要請されますので、たいていこれらの施設がうまく配置されています。けれども中小規模の新住宅地では、既存の施設を利用しなければならないため、「郵便局は近いが、医院が速い」とか、「町役場へはバスの便がなく、歩いて一時間もかかる」といった不満を生ずるケースがあります。施設の整備された土地であることが望ましいとはいえるのですが、逆に、商店街を中心に各種の施設がすぐそばに揃いすぎているのも問題です。人通りや車の通行が激しい騒々しい場所となって、住宅地としては不向きということになるわけです。ですから住宅地選びは、日常生活の利便性だけを考えて行動してはいけないのであって、居住の快適性ということも重要な条件となってきます。 翌日、仕事に行こうと、雨の中、自転車で駅に向かっていたときだった。ポケットに入れていた携帯電話が震えている。自転車を止めて電話に出ると、担当のSさんからだ。「何だろう?まだ何かあったっけ?」心の整理がまだあまりできていない頭の中で、いろいろなことを考えてみたが、心当たりは何もない。「丸山様、今、お電話していて大丈夫ですか?」心なしか、Sさんの声が上ずっている。「は、はい......」と、わたし。「あのーですね、昨日の抽選のあと、本日キャンセル住戸が発生しまして、値段的にも希望階も、丸山様が希望されていたものと近いので、丸山様にどうかと思いまして......。丸山様は、わたくしどものマンションをとても気に入ってくださっていたので、いちばんにお電話いたしました」物件のキャンセルがあって、連絡をくれたのだった。「えっ?ということは、買えるんですか?どうして空いちゃったんですか?」驚きをあらわにして、聞いてみた。「突然、海外転勤が決まられたそうで、キャンセルになってしまったんです」と、Sさんが言った。そんなの、うそでも何でもいい。わたしのために部屋が空いたんだと、すっかり興奮してきた。さらに驚いたことに、彼女がすすめてくれた物件は、最初に母と一緒に「ここがいいね」と言っていた部屋だった。しかし、見学に行ったときすでに予約が入っていて、あきらめた物件。その部屋はリビング側に公園があり、日照は半永久的に守られたも同然。実は、抽選に外れた部屋よりも気に入っていた。「ぜひ、買わせてください!でも、今日中にお金を払わないといけないんですよね?わたし、これから仕事なんです。今すぐじゃなくても、大丈夫ですか?」「もちろん結構でございます。8時までにお越しいただければ。お待ちしております」「わかりました。仕事が終わったら、すぐに行きますので。......。はい、失礼します」何というラッキーなんだろう。あんなに重たかった気持ちが、この電話ですっかり晴れてしまった。空は雨のために暗かったが、わたしの心には雲間から光が射し込んでいるように思えた。「ありがとう、運!」躍る心を抑えながら、その足で銀行へ行った。その日は日曜日で、キャッシュカードでお金を引き出すと手数料が105円かかる。けれど、そのときばかりは105円が惜しいなどと思わない。すぐに予約金として必要な10万円を引き出した。今度はうれしい気持ちで、一日中仕事が手につかない。一気にマンションへと大きく前進したのだ。 ページの真ん中に横線を引いて上下に分け、上半分を食費のスペースにしてさらに5週に分け、1週分ずつの管理にする。食費は1カ月単位で考えるよりも週単位で考えたほうが、使いすぎを防ぐことができるからだ。下半分には、食費以外の項目を書いておく。オリジナル家計簿を付けるようになってから、お金の流れがよく見えるようになって、何の気なしに使っていたお金がなくなった。それぞれの予算が組まれているので、その予算内でやり繰りしないといけないためだ。結果、使いすぎを防ぐことになる。今まで、どこにいくら使ったかわからないと嘆いていたが、家計簿を付けてから、いつ、何に、いくら使ったかがわかるようになった。お財布の中が丸見えになったのだ。そして、お金がだんだん残ってくれるようになった。「不思議!前よりお金に余裕がある!」自分でもそう驚いていた。「家計簿って、何だか通知表みたいだなあ」家計簿を付けて毎月反省していると、そう感じるようになった。予算内に収まったか収まらなかったか、どちらの結果に対しても、なぜそうなったのか自己分析を兼ねて反省することが通知表に似ているからだ。「落ちつきがありません。来年は3年生になるのですから、がんばって直しましょう」子どものころ、通知表にこう書かれていたことを思い出す。でも、教師が書くことは、ある意味、表面的なことばかり。この家計簿は自分で書くため、内面的部分にもお構いなしに踏み込むことができる。人に注意されて素直になれないことでも、自分で気づけば素直に直すことができるもの。そういう面でも、家計簿の反省はとても重要だと思った。それに、学校の通知表は「1・2・3・4・5」の数字で表されるが、家計簿は金額がそのままダイレクトに点数となって現れる。期末テストで0点を取ったからといって、5段階評価で必ず「5」がもらえるわけではなく、「4」だったり、下手をすると「3」だったりと、教師から見た評価になってしまう。けれど、家計簿の場合、がんばればがんばっただけの成果が、貯金額に反映されるのだ。はじめは思ったほどの数字が出なくても、しだいに少しずつでもいい数字が出てくるようになると、「自分はやればできるんじゃないか」と思えてくる。お金を管理して家計簿を付けることが楽しいものだと気づくだろう。「やる気は倍増!」どんどんやる気になっていった。 以前、空間には男の空間と女の空間があった。西洋では、男の空間は「書斎」、女の空間は「プドワール(婦人室)」であった。日本でいうとさしずめ、「表座敷」が男の空間、「台所」が女の空間ということになろうか。その男と女の空間の中間に、共用のというか、両性のというか、男、女、ではない社会的結びつきである家族の「茶の間」が成立していた。「茶の間」は朝昼晩の食事をする空間であり、家族が寄りあう空間で、いまでいう「リビング」的空間に近い。けれども「茶の間」に他者が混じることは近親者でもなければまずなく、他者は明らかに「褒」あるいは「奥」には入らず、「表」の座敷や応接間で対応されてきた。身内イコール「内・・奥」、他者イコール「外・表」、という社会的決まりごとが、そのまま空間の決まりごとになっていたわけである。戦後からこちら、住宅のあり方は、人のあり方、考え方、ことに女性の地位の向上によって大きく変わってきた。それまでの日本の住宅は、廊下をはさんで「南・表」に座敷や応接間など主人イコール夫を主役にした接客空間と、「北・裏」に台所や女中部屋など、妻や召し使いなど主人に従属する立場にある「女性の空間」があった。そして男女同権、万民平等などの主義の変化によって、そのような空間のあり方まで大きく変わってきたのである。座敷や応接間など接客を主とする空間は、首都圏の人口の増加、地価の高騰などと相まって、外=マチ、すなわちホテルのロビーやレストラン等ですまされることになり、住宅は「自分たちだけのもの」、いいかえれば「表」がなくなり「裏=内=奥」だけで成立することになった。茶の間でもなく座敷でもなく、多分に住む人の個性を尊重する「居間」というものが、「リビング」としてこの新しい世紀の新しい空間として定着してきた。・リビングはだから、ある家では昔の「応接間、座敷的」であり、またある家では「茶の間的」であり「食堂的」「台所的」である、というふうにその性格や機能があいまいなまま現在に至っている。あえていえば、夫や妻の、子供や孫の、あるいは親しい友人知人たちの、いわば「身内感覚」で交流しあえる「場」ということになろう。夫、妻、子供たちという核家族を構成している年月は、人生の歴史の中でも長い。そ*の間のリビングは、やはり「皆の空間」で、誰か一人の、夫や妻や息子や娘の、個人的な色彩一色になってしまっては、他のメンバーの居心地が悪い。個人個人の主張が内に抑えられ一歩引いた、いわば昔ならその家の「家風」的雰囲気にならざるを得ない。個個の主張はどうぞ個々の部屋で、ということになる。さて、息子も娘も育った。 ホームオフィスだから、さぞやオフィスに比重が置かれていると思いがちだが、実にすっきりとしたひとり暮らしのワーキングウーマンの住まい方だ。日課は、午前中はオフィスにいて、電話、FAXなどのコミュニケーションに使うことにしている。午後は原稿書きや調べものの時間にあてる。日によっては打ちあわせに出かけたり、ビジネススクールに講義に出かけたりする。江実さんはホームオフィスでの初仕事として本を一冊書きあげた。現在は翻訳に取りかかっているという。ホームオフィスは自由業、著述業には実に快適であり、費用や時間の短縮、節減にもなって、いろいろな面で効率がいいようだ。プライベート時間と仕事時間の切りかえがうまくいけば、これほど合理的かつ快適なものはない。江実さんは自己管理ができているから、ホームオフィスを上手に使いこなしていける達人だと思う。江実さんの五〇代からの選択は始まって二年。着実に未来に向かっている。江実さんは五〇代にして人生目標を立て直し、女性の五〇代からの生き方の多重性、多様性を私たちに見せてくれた。小さく住み替えることで、それ以上に大きな宝物を手にした好ましい転換の一例といえよう。 君江さんの増改築の準備はたいへんだった。増改築中の引っ越し先のことから設計図の検討まで、ひとり舞台ともいえる活躍ぶりであった。夫は仕事人間で、ほとんど君江さん任せ。会社からの融資金の手続きだけは夫がした。足りない分はあらゆる手段を尽くして、君江さん自ら資金調達に走りまわった。そのほか、どの住宅会社に依頼するか、設計は誰に、どんな広さと間取りが貸しやすいかなど、あちこちの住宅展示場を歩きまわって資料を集め、納得するまで調査した。肝心の自分たちの間取りをどうするか、結婚した娘たちのことは考えなくていいのか、退職金はいくらもらえるか、ローンは何年で返済するかなど、細かい数字の計算まで全力投球した。一方、夫のほうは定年後は関連会社へ行けるかもしれないが、いまはまだ、定年後のことまで考えられないと、つれない返事であり、退職金だってはっきりしないし、企業年金がどうなるのか、なんの調査もしていない有様だ。君江さんはサラリーマンの夫の楽天主義にはあきれかえるばかりだった。夫がこんなに目先の仕事しか考えていないこともいらだたしかった。友人や兄弟にも相談したが、みんな一〇年先、二〇年先の人生設計はおろか、近い未来の生活設計ももっていないことに、ただただ仰天するばかりだった。みんな夫と変わらない生き方をしているのだ。なんとかなるさ、世間の動くようにしかならないよ、国や行政が悪いようにしない「さ、会社は終身雇用で安心だから、心配しなくていいよ......というわけだ。君江さんは、嫁いだ娘さんのことは自分たち夫婦とは切り離して考えることにし、夫はあてにできないので自分たちの間取りは自分で考えた。夫婦二人の寝室は広くとり、ベッドはセミダブルを二つ置く、それぞれ間仕切りができるようにし自分の好きなコーナーをもてるように工夫した。クローゼットは夫用と自分用を区分し、夏用、冬用の入れ替えをしなくてもすむようにと広くとった。年をとれば、夏、冬の衣料の出し入れは面倒になるので、これだけはゆったりと、便宜性を考え、のちのち手間を省けるようにした。

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