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これからの家づくりのあり方

2020年3月29日「日曜日」更新の日記

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八〇年代は不確実で、しかも非常に不安定な時代です。それだけに、将来の展望や予測はむずかしいのですが、これからの家づくりがどんな方向に進むのかといえば、基本的な路線としては住宅の質的向上"であるといえましょう。住宅の質的向上。これからの家づくりの方向としての住宅の質的向上。とは何でしょうか。っきっめていけば、住みごこち、いわゆる居住性をよくするための方策だと思われますが、問題は、それがどんな形になってあらわれるかです。まず考えられることは、生活水準の向上で、一戸当りの延べ面積(総理府統計局「住宅統計調査報告」より)は昭和四三年の七三・八六皿から、四八年七七・一四皿、五三年八〇・二八坪というように上昇を続けており、今後も拡大基調が続くだろうということです。間取りの変化もまた、見逃せません。今日、週休二日制が定着し、余暇時間の過ごし方を中心に生活意識がかなり変わりつつありますが、このことは、これからの住宅の間取りに大きな影響を与えるものと思われます。つまり、これまでの常識的な間取りのあり方とは違って、生活のパターンやライフスタイルを中心に間取りを考えていく、いうなれば、暮らし方にあわせて家をつくるという時代がやってくるのです。家づくりは、すなわち快適さの追求です。本当の意味で住みよい家をつくることは、そこに住む人の暮らし方が反映されたものであるはずです。ということは、これからの家づくりは見せる要素よりも、住みよさを考えたものでなければなりません。-いま確実にいえるのは、住宅の耐用年数はまず二〇年以上(木造では法制上二四年)はありますから、八〇年代に建てる家は間違いなく二一世紀を迎えるという計算が成り立つことです。そのときでも、つまり二一世紀を迎えたときでも、快適な生活の場として立派に通用する住まいであるためには、いかに先を読んで悔いを残さない家づくりを進めるか、将来設計をしっかりと考えてかからねばなりません。将来を見越しての居住性のアップという点では、設備回りを重視すべきですが、断熱材や二重ガラスなどの効果が知れわたってきた現在においては、断熱仕様住宅は常識化している感があり、これからの課題としては、深夜電力や太陽熱を利用した設備機器の定着が残されているといえましょう。・システム化設備の検討二一世紀はエレクトロニクス住宅の時代だというようなことがいわれていますが、この八〇年代に、省エネルギー設備とともに台頭すると思われるのがシステム化設備です。これからの家づくりにおいては、このシステム化設備も検討しておかなければなりません。もっとも、省エネルギー設備にしても、システム化設備にしても、いったん家を建てたあとでとり入れるのはかなりむずかしいものです。ですから、工事の段階からあらかじめ計画していくことが肝。要です。ともあれ、八〇年代は、住宅の質的向上と省エネルギーの二つの問題点を中心として、供給サイドでは住宅の製品化において大きな転換期であるということになります。としますと、消費者サイドでも家を建てる際の考えを大きく改めていかなければなりません。 しかし、抽選の3日前に、とんでもないことが起ころうとしていた。夜自宅でテレビを見ているとき、電話の呼び鈴が鳴って受話器を取ると、N不動産の担当のSさんからだった。「丸山様が希望されているお部屋にダメ元でいいから、どうしても希望を出したいとおっしゃっているお客様がいらっしゃいまして......」ちょっと申し訳なさそうに言うSさんの声に、何とも言えぬ不安を感じた。「3日前に倍率が上がるなんて、何てこと!」何となく気持ちが沈んでいった。わたしが買ったマンションの場合、早く予約を入れたほうが有利というわけではなく、モデルルームがオープンしてすぐ予約を入れようが、予約の締め切り当日に入れようが関係なかった。あとは、公平な抽選で選ばれるだけ。もやもやした気持ちを抱えたまま、運命の抽選日を迎えた。「抽選会場にいらしていただいても、いただかなくても、どちらでも結構ですよ。結果が出しだい、お電話でお伝えいたしますので」Sさんは電話でそう言った。抽選は、箱に入れたボールをだれかがつかみ出すというもので、公正なものらしい。土曜日の夜7時からはじまる。少し迷って、結局、家で待つことにした。その日は、一日中仕事が手につかなかった。気分はずっと晴れず、落ちつかない。「ダメなんじゃないか...。いや、そんなはずはない。運は悪くないはず」そして、その日の午後9時、運命の電話は鳴った。何だか胸騒ぎがする。心臓の鼓動が激しくなるのを抑えながら受話器を取ると、Sさんの声だった。営業のあいさつも何となくぎこちない感じで、ますますいやな予感が胸をよぎる。「こちらといたしましても、ずっと1倍にしていたのですが、突然2倍になりまして、抽選になってしまったのですが......」「は、はい......」「それでですね......」「ええ......」「あの...、残念ながら抽選にもれてしまいました。気に入ってくださっていたのに、残念な結果になってしまい、たいへん申し訳ございません」Sさんはかなり恐縮しているようだった。「......。わかりました。残念ですが、仕方ありません。ありがとうございました」胸に込み上げてくる悲しい気持ちを押し殺すように電話を切る。そのあとすぐに、放心状態のまま母に電話をして結果を伝えると、母も残念そうだった。「抽選会に行かなかったから、ダメだったんじゃない?」母にダメ出しの一言をもらい、ますます激しく落ち込んでしまった。「ダメなものはもう仕方ないよ。また、違う物件を探せばいいんだから」そう母は慰めてもくれたが、そんなに早く心の整理ができるほど器用なわたしではない。抽選に落ちたことが頭から離れず、その夜は、なかなか眠りにつくことができなかった。 「家計の管理にいちばん大切なのは、やっぱり家計簿。家計簿を付けなければ、何もはじまらないだろう」そう思って、家計簿自体を探しに書店に行ってみた。ところが、市販されている家計簿は、標準的な家族を想定しているのか、一人暮らしのわたしには使いにくい。不要な項目が多かったり、スタートが1日からで、自分の給料日からスタートさせることが難しかったり、あまり計算が得意でないわたしにはとても不便に思えた。しかも当然だが、買うのにお金がかかる。中には、日記まで付いてはいるが1000円以上するものまであった。平均すると700円くらいだろうか。これから節約をはじめるのに高いお金を出して家計簿を買い、しかも使いにくいとなれば、これは自分で作るしかない。家に使っていないノートがあったはずだ。「使いやすくて、お金もかからないのであれば、一石二鳥だし」そう思って、何も買わずに帰宅した。「家計簿を付けはじめても、三日坊主で・・・」という人は多いのではないだろうか。わたしも同じだった。なかなか長続きしない。だからこそ三日坊主、一カ月坊主にしないためにも、自分に合った自分だけの家計簿を作らなければいけない。そこでわたしは、1カ月間書き続けた支出記録をもとに、自分だけに必要な項目にしぼって分類し、それぞれの予算を組むことにした。ノートは見開き2ページを1カ月として、一目でお金の流れがわかるようにする。月のはじまりも、1日からではなく給料日からのスタートとして管理しやすくする。まず左側のページには、毎月決まって出ていく出費を記入した。たとえば、家賃や新聞代などの固定支出、電気やガス、水道、電話などの毎月1回引き落とされる公共料金である。そして、食費や日用雑貨代などの残りの日常生活費とおこづかい、また、月に何度か買う予定のものがあれば、その金額も左のページに予算として書いておいた。固定支出や公共料金、日常生活費の3項目は上半分に書き、下半分の左側に貯金した金額を書く。そのとき、貯金の累計を書いておくことによって、自分自身への励みになる。貯金の右側には今月の反省を書いて、翌月の課題とした。応募懸賞で当たったときは、当たった商品名と金額、会社名などを書き残しておくといい。見開きの右ページには、左ページに書いた食費や日用雑貨、本代、洋服代、おこづかいなど、自分自身が使うだけの項目を決めて、何をいくらで買ったのかを記入できるようにする。このとき、必要な項目の数だけ縦線を引いた。たいてい食費の使用頻度がいちばん高いから、食費を書き込むスペースは大きくするといい。 介護、介添えする介護者側のこともこれからは考えておかなければならない。家族だけで介護、ケアすることは不可能なので、第三者の介護者を受けいれる態勢も、どこかに考慮しておくことだ。寝たきりにさせないためには、外からの支援を頼む柔軟な考え方を五〇代からはもっておくこと。介護者のためのスペースも望まれるところだ。そして、リハビリが家の中でできるように環境を整えておくことだ。たとえば、自立してトイレができるように、洗面とトイレだけは寝室の一部に組みこむ(北欧、ドイツなどはその整備が実によくできている)ように、寝室の排水を考えること。また、近所、医師との連携サインが即座にできるコミュニケーション設備を考えておくと、介護者も安心できるというものだ。玄関の上がりかまちは段差をなるべく一〇センチぐらいにして、スロープを取りつけやすく、車椅子でも自分で自由に動けるようにしておくこと。浴室と廊下とトイレには手すりをつけやすくしておくことだ。「手すり一本が寝たきりからの回復」になるほど手すりは大切だ。ここまで、介護する側、される側にとってどういう住まいが望ましいか見てきたが、東京都江戸川区では、老人福祉対策が徹底している。なかでも要介護老人と家族の住宅改造のために、上限なし、制限なし。で、区からの助成制度「すこやか住まい助成事業」を設けている。平成二年度から始まったこの事業は、すでに一二〇〇人もの要介護老人に利用されており、助成金総額も八億三三〇〇万円余に至っている。「これは「介助を要する熟年者が暮らしやすいように、住まいを改造する場合、それに要した費用を助成する」という内容で、一件あたり最低10万三〇〇円から最高三九二万円まで助成し、平均すると六七万五五〇〇円余となっている。この程度の金額で一人の要介護老人と家族が住みなれた家で質も高く、終生過ごせるとしたら、けっして高くはない社会コストである。他に、「さわやか住宅資金貸し付け事業」、「民間賃貸住宅など助成事業」、「シルバーピア事業」など、全体で二六億八〇〇〇万円(平成五年度)の予算規模で、熟年者向けの住宅施策が行われている。こうして考えると、介護者の立場からも住まいは重要になっている。ぜひ、五〇代から真剣にリフォームを考えてほしいものだ。 江実さんは三十数坪あった自宅を手放すことを決意した。会社を他の人に委譲し、立つ鳥あとを濁さずではないが、きれいに跳ぶには自宅を売るしかなかった。バブル後でもあり、購入したときの三分の一の値でしか売れなかったが、思いきりよく手放した。なにも割の悪いときに売ることはないと、まわりの人たちから忠告されたが、敢えて一切をすっきりさせるために、売ることにしたわけだ。借入金返済や子供の留学資金も必要だった。・この点、江実さんは思いきりがよい。五二歳からの旅立ちには、相当に強い信念と覚悟がないとできない。結果は、「すばらしい、いま自由いっぱいでハッピーよ」と、江実さんは声をはずませる。さて、いままでの住まいの半分以下、一四坪のこぢんまりとしたマンションに江実さんは住み替えた。家具などもほとんど整理してしまった。五〇代からは心を大きく、生活は小さく、スリムの方向をめざすことを自分のライフスタイルとして結論づけた。新しい住まいはホームオフィスにするため、足の便を考え、原宿駅周辺にした。LDKのL部分をオフィス空間にし、デスクとコピーなど事務機、書類棚を置いた。DKはオープンなので、デザインのよいシステムキッチンにした。そこが食事をしたり、親しい友人とくつろぐスペースだ。仕事の打ちあわせは原則的には家でしないで、近所に応接間代わりの店をつくった。歩いて二分もかからないところだから、気分転換にもなり、煩わしさもなく、快適だと話している。「私には、こうした割りきり方が江実さんの生き方の芯ともなっているように推察される。オフィス空間とプライベート空間は引き戸で仕切られている。プライベート空間はベッドとクローゼットと本棚の三つから構成されており、収納部分がゆったりとってある。仕事に疲れたとき、寝室の引き戸を開け放ち、ベッドに転がったりもする。もしも、子供たちが休暇で帰ってきたら、どうするのだろうと聞いてみると、一たって親子ですもの、その辺にゴロ寝でもするでしょうよ」と、江実さんはケロッとしていう。自分を中心に考えた住み替えが、案外親と子の肩のふれあう第二のスキンシップの場になるのかもしれない。原則的には、もう互いに自立したのだから共に暮らすことはないと、親子といえども個人を尊重する生き方が貫かれている。 そんな折、ボランティア仲間でいちばん親しい友人が、地方にいる夫の姑が脳梗塞で倒れ左半身が不自由になり、横浜に呼び寄せることになって家を改造することを話してくれた。その友人のあとについて、リフォームの相談所や工務店などを歩いているうちに、君江さんはリフォームの知識が次第に豊富になっていった。折を見て、君江さんが考えている階上のリフォームを工務店に相談してみた。そこで、築後二三年経ったプレハブ住宅は増改築することは不可能で、建て直したほうが安上がりになることがわかった。と同時に、その当時のプレハブ住宅は手入れのいかんにかかわらず、あと一〇年ぐらいしかもたないことを知った。これは大きな収穫だったが、それでも夫は乗ってこないし、建築費がそんなにあるわではないので、君江さんは一時期あきらめるより仕方ないと消極的になっていた。でも友人がお姑さんを呼び寄せることになり、待ったなしでリフォームしている様子を見ているうちに、住宅ローンとか、公的機関とか、会社から借りるとか、いろいろなところで借り入れができることを知って、決然とリフォームに踏みきった。ともかく夫が会社に勤めている間に、定年後の収入のことを真剣に考えようと、必死に口説いた。夫の退職と前後して住宅を建て直すことになったら、もっと大変だという泣きもいれた。夫はとうとう説得に屈した。提案を始めてから、二年近くの歳月が流れていた。君江さんの計画は七六坪強の土地に三階建ての家を建て、二階、三階を貸すことだ。なによりも土地があることが強みであり、返済金は家賃代と夫のボーナスを充当することにした。それでも不足ならば、君江さんがアルバイトの仕事量を増やして、生活費の半分を支えることまで考えた。

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