一人暮らしでインテリアのおしゃれな配置を伝授!

トップ > 令和2年3月> 26日

わたしの家の心地よさ

2020年3月26日「木曜日」更新の日記

2020-03-26の日記のIMAGE
「ほとんどマンションを見ずに決めた自分は正解だったのだろうか」入居して改めて考えるようになった。マンションに不満があるわけではない。それどころか、これ以上はないというくらい満足している。だが、時折分譲マンションの広告を見ると、ペット可物件やもっと設備の充実した物件を見て、うらやましいなという気持ちもある。でも、そんな物件は、その分値段も張っているし、新築物件だとこれから1年以上も待たなければならない。「やっぱり、ここが私の住むべき場所だったんだな」そんなふうによく思う。運命的なものであったとさえ感じることもある。それに、そう考えないと、マンションを買うという大仕事はできなかったはずだ。「マンションとアパートでは全然住み心地が違うなあ」しみじみそう思う。騒音についても、前のアパートはひどかったが、今はとても静かだ。風通しもいいし、気密性が高いので、冬でもあまり寒くない。アパートにいたときは、10月の終わりごろからストーブやエアコンを使っていたが、マンションに移ってからは、2月のはじめくらいまで暖房なしで平気だ。それと、マンションの壁が傷むため、石油ストーブの使用はやめた。寒いときは床暖房のみなのだが、それもほとんど使わずにすんでいる。リビングの窓が真南にあるため、冬でも暖かいからだ。冬の午前中の晴れた日は、本当に気持ちがいい。その分、暖房代も助かってくれている。こんなふうに、以前住んでいたアパートでは考えられないことが現実となっている。キッチンも広くなって大きな冷蔵庫が置け、バスルームには窓も付いている。 リビング・ダイニングには、和室も作れるらしい。そうしたら、客間にすればいいだろう。そして、ほかにも2つの洋室があった。一つは寝室にして、もう一つは書斎にしよう。クローゼットも各部屋にあり、収納もお任せという感じだ。なかでも、ウォークインクローゼットはあこがれだった。バスルームにちゃんと脱衣所もあるし、洗面台もある。お風呂のお湯は自由に温度設定できるし、沸かし直しもできる。洗面台には大きな三面鏡があり、鏡の裏にはたっぷりの収納がある。シャワーヘッドが伸びるので、朝シャンもOKだ。朝シャンはしないけど、そう思った。しかもこのマンションは、駅から徒歩3分という好立地。今住んでいるアパートの徒歩20分を考えると、信じられないくらい便のいいところにある。「今住んでいるアパートと比べたら、雲泥の差だ」当たり前だけど、そう思った。家全体の広さは3倍、部屋数も3倍で、一人で暮らすにはぜいたくとしか言いようのない広さ。広いリビングに射し込む暖かい光を見ていると、「こんなところに住めたらいいな」と、少しずつ心が動いていく。あれだけ一戸建てへのあこがれと情熱があったものの、やはり目の前のマンションにはさすがに勝てなかった。それに、何より一刻も早くあのアパートから抜け出したかった。この広いマンションに住みたいと願う気持ちが、だんだんふくらんできたのだ。「これなら、わたしもちょくちょくお邪魔できるわね」母も気に入ったようだ。そして、早速、その日のうちに部屋の予約をしてしまっていた。ところで、予約はあくまで希望を出すだけなので、お金がかかるというわけではない。 23歳になっていた。ラーメン屋でのアルバイトを辞め、カラオケ屋に勤めることになった。正社員だったし、仕事自体に不満はなかったが、人間関係が最悪で、ストレスがたまる日々だった。そのころの手取りは月20万円くらいだったろうか、収入は増えたものの、生活は相変わらずだった。「こんなにいやな思いをして、朝から晩までせっせと汗と涙を流して働いているのに、まったく貯金ができない......」そう思っていたが、何が悪いのかわからない。「家を買うために少しでもお金を貯めたい。貯めなければ!でもどうすれば?」こんな思いが、わたしの中でぐるぐる回っていた。少しだけ貯金をすることもあるにはあったが、いつでも引き出せる普通預金に入れていた。定期預金にしてしまうと、急な出費があったときに困ると思ったからだ。でも、お金が足りなくなれば、すぐにそこから使ってしまうので、貯金なんてできるはずもない。「一人暮らしなんだから、貯金なんてなくて当たり前」最後にはそう勝手に思って、自分を慰めたりしていた。そんなある日、初心者のためのわかりやすそうな投資の本が創刊するという広告を新聞で見た。「投資」という言葉に少し惹かれるものがあり、さっそく買ってみることにした。その本には、今まで見たことも聞いたこともないような専門用語が羅列してあるのだが、わからないなりに何度か読むうち、少しずつ理解できるようになっていった。ただ、理解できても、投資できなければ何の意味もない。しかも、投資商品のほとんどは、ある程度まとまったお金がないとはじめられない。「投資の元手を貯めるために、少額からでも貯金しなければ!」気持ちだけはそう盛り上がっていた。とりあえず資料をもらうため、証券会社に行ってみる。生まれてはじめての証券会社。おそるおそる人ってみると、窓口に女性が1人と、奥にその上司らしき中年の男性がいた。ただの冷やかしと思ったのだろうか、2人とも「何しに来たんだ?」と言わんばかりの態度で、にらむような視線を向けてくる。「20歳そこそこの娘は客にならないということだろうか......」結局、資料をもらうまでに20分以上も待たされた。「投資の本には、〇〇証券ではみなさんにお配りしていますと書いてあったのに......。この証券会社では絶対に投資はしない」悔しくて、そう心に誓った。そして、貯金通帳にいくらか残っていないかと、8歳のときにしていたアルバイトの振り込み先だった銀行の通帳を見て、さらに落ち込む。8~10万円くらいあった残高は、もののみごとに3桁になっていた。記録を見てみると、同じ日に何度か2万円とか3万円を引き出している。しかも、他行で引き出したため、手数料まで引かれているではないか。原因はだいたい見当がつく。足りない生活費を補うためと、ストレス解消のパチンコのせいだ。わたしは、パチンコに熱中していた時期がある。熱くなると止まらない性格が災いして、出るまで粘る。勝てなくて、余計にストレスがたまっていた。「何てこと!」しばらくその通帳を見つめて放心状態。あまりの自分の情けなさに泣きたくても泣けなかった。「アパートを出たい、自分の家が欲しいと思ったものの、お金がまったくない。やはり現実はきびしかった。 10年間介護を体験して思い知ったこと
やまや山崎摩耶さんは区民健康センターで、10年間、在宅ケア・看護をしてきたこの道のベテランである。「やさしき長距離ランナーたち」(潮出版社刊)の中に、介護した人々の生き方が紹介されている。在宅ケアに欠かせないものに、介護しやすい住宅をまず考えないと、在宅ケアがスムーズにいかないと山崎さんはいう。医・食・住、足りて介護なりたつというのが山崎さんの持論である。以下、山崎さんの体験にもとづいたアドバイスをまとめてみたい。これまで、住まいはひとつは資産価値、ストックとして考えられてきた。しかし、これからはストックからフロー化へ、意識改革することが大切になってくる。つまり、どう生きていくかを考えた上で終いの住みかを考えないと、単に家という箱物のハードとして捉えるのでは、高齢化社会に対応できないところへきているということだ。誰しも、老化のプロセスは予測できない部分が多いだけに、自分の生き方を明確にす方ることが五〇代以降の住まい方を決めるためにもたいへん重要になる。子供の巣立ち後は夫婦二人だけの生活にする生き方もある。反対に、子供と同居し、二、三世代で住み分ける生き方もある。子供とスープのさめない距離に住まう人もいる。呼び寄せ老人という言葉ができたように、子供が老親を呼び寄せることもある。いくつかのケースが五〇代から六〇代にかけて起きてくる。一般に、子供が成人してほっとしたとたんに、今度は老親の介護が待ち構えている。それも、これからは一夫婦で両方の両親、つまり四人をみていかなければならない時代だから大変である。とくに、団塊の世代からはそうなってくる。そして、団塊ジュニアの世代になると、子育てする親はいても、親をみる子はなし"を覚悟しなければならない。そういう老いのプロセスを各人が考えて、自立できる住まいづくりを五〇代からは考えていくことだ。 有馬さんの九階の部屋からは新宿、池袋の高層ビルのネオンがきれいに見え、昼間の晴れた日には富士山が見えることもあり、大いに気にいっているという。六〇歳からの自立した男の合理的生活がここには垣間見える。有馬さんは、朝九時から一二時までは自宅で電話連絡やFAXで仕事の打ちあわせをしたり、手紙を書いたりし、午後は打ちあわせに出かけたり、手伝っている会社に出かけるというスタイルをきちんと決めている。炊事以外の家事も自分でしているが、家事は手をかけただけ成果がはっきり出て、やったという歓びが味わえていいということも、六〇歳にしてはじめて発見したという。・現在は、ホームオフィスのスタイルでコンサルタントをし、家事も自分でこなして楽しい人生を送っている。余談だが、有馬さんの台所には「男はまず道具と材料に凝る。の例にもれず、三つ口ガスコンロとガスオープンが一体となったガスレンジがあり、蒸し器まで揃って本格的である。レシピのうち、とくにミニポテトコロッケは玄人の域に達しており、知りあいや、知人の飲食店からパーティ用などに直接注文があるが、実際に味は絶品である。有馬さんを見ていると、とても六二歳とは思えず、10年引いて五二歳という感じがする。肩書きをはずしているからこそ、暮らし方も住み方も自分らしく、自由な発想が生まれるのだろう。とかく、過去の会社や肩書きにこだわって退職後の人生をことさらにつまらなく、せまく生きる人が多い中で、有馬さんの生き方は、まさしく拡大人生である。退職後の、しかも妻を亡くした男性の生き方の手本ともいえるほど、好奇心と行動力に満ちている。そして、充実したバラ色の生活を築いている。 戸棚は上方に置かない、目線から下に。廊下や玄関には、あとで手すりが取りつけられるように強化板などの装置の準備をする......などなど。段差は当然、五〇代からの住まいでは、最初から考慮しておきたい。まず玄関の段差はあっても一0センチまでとするか、最初から欧米風にフラットにしてしまう。部屋と部屋、部屋と廊下の段差はなくすこと。ドアは広く、車椅子が通れる九〇センチ以上にし、引き戸にするなど機能面も考え、バリアフリーを取りいれやすく下準備をすること。・ヒント:電話・FAX――人との交流、情報入手を考えて電話やFAX、さらにパソコン通信など、情報入手や人との交流にこれらは欠かせない。五〇代からはとくにこうした通信機器は重要な設備である。-電話には、耳の遠い人のために,ひつだん(話したい内容を手で書き、目で確認しながらコミュニケーションできる。話すことや聞くことが不自由な人にやさしい電話機)とか、めいりょう"(大きな声で聞こえる)とか、光で電話を知らせるフラッシュベル"もあり、レンタルも一般用と福祉用があり便利になっている。一台でFAXと電話二つの機能をもっているものが便利だと思う。
●ヒント16サイン
設備機器や各種器具などの表示が一目でわかるかサイン(記号や表示など)は、見やすく、わかりやすくしておくことが大切。トイレでも洗面所でも、まして浴室では湯気などで見にくいので、めがねなしで、見やすい、わかりやすい、シンプルなサインが望まれる。台所でも、手がぬれていて、片手しか使えない場合などがあることを考慮したやさしい表示、サインが望まれる。
●ヒント17色彩
目に明るく、やさしい色づかいを目は加齢とともに水晶体が濁ってくる。それによって色彩が濃く、暗くうつるので、色、採光をなるべく薄い、やわらかいものにすることが必要。つまり、プリズムの反対側の赤、黄、ピンクなどの色がはっきり見えてくる反面、緑、紫、ブルーが暗く、捉えにくくなる。しかし、好きな色が暗色系ならば、明度の高い方の色をうまく組みあわせるようにする。総体的にはパステル色を基本に、ビビッドな色とか、好きな色をアレンジする。あまり多くの色を使うのは避けることが肝心。壁、天井、床は美しく心なごむ、明るい色を勧めたい。また、家の中で着ている洋服も含め、絵画や置き物などとの調和も忘れてはならない。・ヒント18感触――手ざわりがいい住まいにするために住まいの中では手に触れるものが多い。手ざわりということも住まいの大切な要素となる。ただ、手の感触は七〇代後半になると、個人差はあるにしても、コットンの手袋をはめたくらいの感度になり、八0代はコットンの手袋二枚をはめた感触に衰え、さらに九0代はそれに軍手をはめた感じしかなくなるという。

このページの先頭へ