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慶應義塾中等部に合格したCくんの家

2020年3月24日「火曜日」更新の日記

2020-03-24の日記のIMAGE
東京/4人家族(父、母、兄、Cくん)/2階建て一軒家(5LDK)その日の気分で勉強部屋を変える遊牧民(ノマド)式勉強法。Cくんのおうちは、東京城南地区にある新築5LDKのお宅です。2階の南側の一番陽あたりの良い場所にお父さんお母さんが子ども部屋を作ってくれました。新築するまでは、4つ上のお兄ちゃんと同じ部屋に押し込められていたのが、ついに一人部屋を与えられたのです。Cも6年生だし、中学受験もあるし、これでバンバン勉強してくれるぞ。お父さん、お母さんは、そう思って、おうちの一等地をCくんに与えました。Cくんもさぞや喜んでいることでしょう。......ところが、当のCくんは、この子ども部屋を飛び出し、まるでノマド(遊牧民)のように、おうちの中のいろいろな場所で勉強をする、ノマド式勉強法』を実践しているのでした。なぜ、Cくん?すばらしい部屋じゃないの。けっこう広いし。日当たりはいいし。君のお城だよ。「うーん、まずね、この勉強机、とっても立派なんだけどさ、椅子ががっしりしすぎていて、なんだか座りにくいんだよね」じゃあ、椅子を換えればいいだけじゃない?「ほんとはね、それだけじゃないんだ。自分の部屋をもらって初めてわかったんだけど、ひとりぼっちの部屋って、あんまり好きじゃない」へえ、そうなの?「そう。なんだか落ち着かない。ひとりだとかえって勉強にも読書にも集中できないんだ」じゃあ、どこがいいの。「ええとね、まず、1階の和室」Cくん宅は、1階に洋間のリビングダイニングがあり、ここで家族は食事をとったり、団らんしたりしています。 コンビニの店長を辞めて、節約家としての活動がはじまったが、節約家の仕事は不定期にポツリポツリと入る程度だった。1カ月、何にも仕事が入らなかったこともある。当然、その月の収入はゼロ。しかし、住宅ローンをはじめ、いくら節約しているとはいっても必要最低限の生活費がかかる。毎月決まって出ていくお金として、住宅ローンと管理費で8万円。家で仕事をするようになって、電気代が3000円に増え、ガス代2000円、水道代2600円、食費も8000円くらいに増えた。パソコンのインターネットを使うようになったり、仕事のために再び携帯電話を使うようになって、通信費は月に1万円にも跳ね上がった。最低でも月に10万円は必要な計算である。自宅兼職場は通勤の手間はないが、ずっと家にいることで、その他の経費がかかることも知った。そのほかにも、それぞれ1年で、国民年金5万6700円と市県民税7万3300円、固定資産税2万円、国民健康保険9万円がかかってくる。最低でも年間5万円ものお金が、税金や保険料のために必要ということだ。今までは会社任せにしていたものが、次々と個人に襲ってくる。もともとは給料の中で控除されていたので、結局は同じなのだけれど、今まで意識していなかっただけに、自分で払うとなるとかなりきびしかった。これらは月々払うよりも年間で払ったほうが安くすむため、年に1度まとめて払うことにしているが、そのときは寂しい気持ちになる。実際、お金はほとんど残らなくなり、貯金どころではなくなった。それでも、貯金はしていなければと、何とか月1万円の積み立ては続けている。ところで、仕事の依頼は、一度お世話になったところから再び直接もらうこともあるが、おもに本を出した出版社を経由して入ってくる場合が多い。 「早く引っ越したら!」1年ほど前に泥棒に入られたということもあり、それ以来、母はこんなふうにうるさく言ってきていた。そして、ついにしびれを切らして、年が明けてすぐの1月半ば、アパートまでやって来たのだった。もちろん、わたしも早くこのアパートから出たいのだが、そう簡単にはいかない。引っ越しするとなると、数十万円は必要になる。でも、家を買うという目的があるのだから、そうそうお金を使ってはいられない。「明日は絶対に新しいアパートを見つけてから帰るからねっ!」母の決意は固そうだった。「これも、何かのきっかけかもしれないなあ」そう思って、とりあえず素直に従うことにした。翌日、母は早くから起きて、張り切っている。「さっさと起きて、物件探しに行くよ!」「せっかくのお休みなんだから、もうちょっと寝させてよ~」「早く行かなきゃ、いつまでたっても決まんないでしょうが」のろのろとしたわたしに、母は少しいら立っているようだ。わたしはしぶしぶ起きて朝食の用意をはじめ、母は暇そうに朝刊を眺めていた。「駅徒歩3分、3LDKのマンションが2650万円からだって。これ、いいかもね。しかも、今日モデルルームがオープンなんだって。行ってみる?」新聞のチラシを見ていた母が、突然そう言った。「え?マンション?しかも分譲?」わたしは、コーヒーをいれながら、母の言葉を適当に聞いていた。「もしマンションを買ってしまったら、今まで夢の一戸建てのために貯めていたお金はどうなるんだろう?やっぱり頭金で消えてしまうんだろうなあ」たいして本気にもせず、そんなことをぼんやりと考えていた。「まあ、買うかどうかなんてまだ決めていないんだから、ついでに見に行ってみようよ」母はすっかり乗り気になっていた。「それもそうだね。その駅までだったら、この近くからバスが出てるから、朝ごはんを食べたら行ってみようか」そして、オープンしたてのモデルルームへ行くことになった。午前10時くらいにモデルルームに着くと、マンションを販売するN不動産の営業と思われる人が数人待っていた。そして、同じチラシを見た人たちだろうか、家族連れも集まっている。わたしたち二人には、30代半ばの女性の営業、Sさんが対応してくれる。少し疲れぎみな顔をしていたが、きれいな人だった。「お母様とお嬢様、お二人でお住みになるご予定ですか?」Sさんがニコニコして聞いてくる。「いいえ、わたし一人の予定ですが......」わたしがそう答えると、Sさんは少し驚いた様子だった。「あ、そうでございますか......。ただ、公庫のローンだけでは難しいと思いますよ。返済計画はどのようにお考えでしょうか?」どう見ても年収が低そうなわたしを不安だと思ったのであろう、Sさんは何だか、すっかり売る気をなくしているような態度だ。それまでの笑顔が消えている。今までも、さんざん同じようにあしらわれてきた。だから、Sさんの考えていることはだいたいわかる。わたしのことを、ただの冷やかしだと思っているのだろう。「「つみたてくん』と住宅財形などで、現状500万円ほどの預金を持っているのですが、ダメでしょうか?」悔しまぎれにそう言うと、Sさんは驚いたようだった。「お若いのに、しっかりしていらっしゃる」と、態度が一変し、Sさんはまたほほえんでいた。 ある日、主婦雑誌をめくっていたときのこと。注文住宅の広告がいくつか載っていたので、あまり深く考えずに、何社かに資料請求を出してみた。「実際はどんな感じなんだろう?」いろいろ取り寄せた資料を見ていたら、急に実物が見たくなってきた。それで次の日曜日、近所にあるモデルルームに見学に行くことにした。日曜日だったので、当然のことながら家族連れで大賑わいだ。そのときのわたしは茶髪。しかも、Tシャツとジーンズという服装だった。住宅展示場に一人でいるわたしは、どう見ても冷やかしとしか思われなかったのだろう。ほとんどのモデルルームでシカト状態。モデルルームに入っても、声をかけられることも、パンフレットを渡されることもなかった。まれにアンケートを渡してくれるところがあっても、5年以内に購入の意思がないとわかると、「もういいよ」というような態度をしてくる。一方で、モデルルームの従業員は、家族連れへは親切丁寧に説明している。わたしへの対応とは、明らかに違っていた。「住宅展示場って、こんなに居心地悪いところだったんだ.....」当然といえば当然だったのだろう。でも、そんな彼らの態度を見ていると、悔しい気持ちがだんだんこみ上げてくる。もちろん、あまりにもしつこくされるといやになってしまうに違いない。けれど、説明もいい加減に、「買う気がないなら、さっさと帰んなよ」というような態度では、あまりに悲しい。すっかり寂しい気持ちになってしまっていた。すべての家を回らないうちに「帰ろうかなあ」と思ったそのとき、ちょうど帰り口の近くにあったモデルルームが気になった。「そういえば、この家って、資料請求したメーカーだ」いやな顔をされても、もう慣れっこになっていたから、今ならさほどのショックも受けなくていいだろうと思い、軽い気持ちでのぞいてみた。 裕文さん夫妻はここに移り住んでから、二人のお子さんに恵まれ、いまでは親子三世代同居という理想的な生活をしている。「奥さんの忍さんは三世代同居は全然苦にならないといっているが、それは結婚前に四世代同居を体験しており、年寄りも子供も一緒に暮らすのは自然だと思っていたのだ。仁夫さんにとっても、裕文さんにとっても、これは幸運なことだった。間取りを考えるにあたっては若い夫婦が夜遅くまで起きていても、父親の安眠を妨げないように、中間に家族共用の部屋を置いて、父親の住空間と自分たちの空間をほどよく離した。妻の忍さんは将来、自宅で茶道教室を開きたいという希望があり、最初から炉を切ってもらったという。これも、コーポラティブ方式のおかげだと裕文さんは満足している。ふつうのマンションでは無理な注文であったし、受けいれてもらえなかったことではないだろうか。バブル前だったため、信じられないような価格で、5LDK(九五平方メートル)でおよそ三六〇〇万円。名古屋は安いとはいえ、これは実にリーズナブルな価格(両方の家を売って不足分は公的ローンを利用)だったのも気にいっている。こうした自分たちの体験から、高齢者になってから人生設計を見直し、住まいを考えるのでは手遅れで、若いうちから自分の人生設計、生活設計を考えておくことが大切だと裕文さん夫妻は強調する。裕文さんが二世代、三世代同居を見据えて、四〇代早々にシニアハウスに入居したその先見性には学びとりたいものがあると思う。もちろん、こうした街中の共同体を一貫して推進している生活科学研究所の高橋英與代表の理念が、こうした住みよい、買いやすい住宅づくりを生みだしていることを忘れてはならない。 いままでは会社人間で、会社の方針に従い、されていたが、会社から離れたいま、当時の経験は大事にするけれど、すべての肩書きをとって、自分の人格で生きることにした。ところが、肩書きをとってみて、いままで見たことも、考えたこともない自分を見つめることができたことは、想像以上に貴重な体験だった。会社の肩書きをとってみて、知らなかった自分を発見したと有馬さんはいう。ひとり暮らしは三年間の単身赴任で経験はあったものの、ほんとうに自分らしいひとりの生活をするにあたって、自分の思うまま、正直になってみようと、食事づくりからとりかかった。ところが、いっこうに食欲がわいてこない。目、口、おなか、どこに聞いてもノーで、自分のつくった料理がボイコットされてしまう。食べる人からつくる人への転換が、有馬さんの心を閉ざしたのかもしれない。その後、時間をかけながら、一日三食をとる大切さを自分自身に納得させ、野菜を中心に、魚を補い、肉は控えめにし、自分のつくった料理と折りあいをつけながら、少しずつ自分流手づくりに慣れるように心がけた。その中で、肉を食べないと生きる闘争心がわかないことにも気づいた。そんな状態がしばらく続いたあと、たかが食事、されど食事、食は生命であり、気力をつくり、健康も、人格も食事次第だという結論に辿りついた。どうせつくるなら、おいしく、目がほしがり、おなかを満たすようなものをと思った。するとだんだん食事づくりが楽しくなり、自分の性に合っていることに気がついた。そこで、友人を招いて味具合をみてもらったところ、「これ、おいしいよ、いけるじゃないか」と、お世辞でなくほめられ、食事づくりの情熱がエスカレートしていった。 ●ヒント9機能性
複雑でなく使いやすく機能性は家全体について十分考慮したいことだが、次の点は注意してほしい。年を重ねていくのだからと機能性を追求しすぎるのは考えもの。過剰な機能性のために、かえって操作がしづらい器具などや複雑化したものは避けること。また、便利と安全を追求しすぎて過保護になりすぎないこと。どの機器、器具も機能性がゆきすぎると、かえって使用時の緊張感が衰え、それが危険にもつながることを考えておかないといけない。使い方や使う側の心理によって、思いがけない凶器ともなる落とし穴があることも忘れてはいけない。
●ヒント10
清潔ー湿気やカビ、ダニを防ぐために湿度が高く、夏、冬の温度差がある日本でどうしても考えておきたいのは、住まいの清潔ということである。消、除、脱、防の清潔、快適、快感を大切にしたい。台所の換気扇、空気清浄機、トイレの除臭、消臭の装置(人感センサー付パイプ用ファンなど)と換気扇、浴室の浴室換気乾燥機などはまっ先に考えておかなければならない。これは梅雨期の湿気、カビなどの防止、冬期の結露予防や除湿にもなるから、清潔で、快適な住まいのためには、ぜひ考えたい設備だ。五〇代からは住まいの手入れを頻繁にするのは体力も減退することを考慮すれば、大変なことである。住まいの中でいちばんリッチにしたいサニタリーの換気、とくに浴室の湿気やカビなどを防ぐ配慮はぜひしておきたい。
●ヒント11
引き戸――ドアを開閉しやすくするために従来、日本の住居は障子、襖など、ドアはすべて引き戸になっていた。二間、三間を続けて大広間にしたり、柔軟に使いこなせる価値ある日本の生活様式だ。五〇代からの住宅にはこの引き戸方式を勧めたい。障害が生じて車椅子を使うことになっても引き戸なら扱いやすい。オートドア(プッシュして開く)も出現しているが、これも一考に値する。

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