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Aくんのおうちのもうひとつの関所

2020年3月19日「木曜日」更新の日記

2020-03-19の日記のIMAGE
Aくんのおうちにはもうひとつの関所"があります。それは、「階段」です。2階には、両親の寝室とお父さんの書斎、そしてAくんと弟の子ども部屋がそれぞれあります。そして、Aくんも弟も、2階に上がるにはキッチンの目の前を通らなければなりません。この家を建てるときに、お母さんが設計士のひとにそう注文を出したのです。お子さんがおうちに帰ってきてもお母さんの目が届かないがために知らぬ間に2階にこもっていた、という具合にならないように考えた工夫です。「ただいま!」帰ってきて、そのままキッチンの脇を抜けて2階の部屋に行こうとする子どもにお母さんは声をかけます。「今日、学校でなにか面白いこと、あった?」「なんか、顔色、悪いわね。風邪じゃない?」階段を上り下りする子どもの様子を見ながら、キッチンに居ながらにして、お母さんはお子さんとコミュニケーションをとれるのです。びしびし子どもに質問する様子を見ると、お母さんは、ちょっとおっかない関所のお役人さんみたいですね。学校から帰ってくるたびにお母さんに声をかけられるので、(うちの母さん、ちょっとうざいな)などと内心思ったりすることもあるAくんですが、ちゃんと気にかけてくれて、おいしいご飯をつくってくれて、お友達にもやさしいお母さんの愛は、そんなAくんにきっちりと伝わっていました。Aくんは、お母さんお父さん弟という家族に囲まれ、この卓球台でごくごく自然に宿題を片付け、塾の復習をし、会話を交わし、食事をとり、ときには友だちと卓球で遊び、そして翌春、無事、神奈川県でもダントツの難関校、栄光学園中学に入学が決まったのです。卓球台とキッチン前の階段という二つの「関所"のおかげで、Aくんはお母さんやお父さんと密なコミュニケーションをとることができ、家族の愛に囲まれながら楽しく勉強を続け、そして受験に成功したわけですね。ちなみに、Aくんの場合、子ども部屋にも一応学習机はありましたが、本や教科書の荷物置き場となり、そこで勉強することはほとんどありませんでした。学校の宿題も、塾の予習復習も、そして本番向けの勉強の大半も、Aくんはお母さんやお父さんとコミュニケーションをとりながら、この卓球台でやったのです。 コンビニを辞めて収入が減ったので、当然、無駄遣いはしていられない。「まず物は買わない」そう決めた。物を買わなければ、お金も出ていかない。けれど、ごはんを食べなければ生きていけない。そんなときは、米と保存食で何とか乗り切るようにした。コロッケをまとめて作って冷凍したり、かぼちゃを丸ごと買って来てたくさん煮てから、冷凍保存したりもした。「コンビニ弁当やホカ弁でも、わたしにとってはぜいたくだ」収入が少なくなった生活に、手作りは欠かせなかった。それに、マンションに引っ越して、念願の大きな冷蔵庫を買うことができたので、思う存分手作りを楽しめる。わたしのような一人暮らしの場合、2ドアの小さな冷蔵庫を買うところかもしれない。しかし、2ドアでも3ドアでも、値段や消費電力にはあまり差がないことを知って、大は小を兼ねると思い、3ドアのファミリータイプの冷蔵庫を選んだ。-アパートにいたころのミニ冷蔵庫と比べると、夢のようだった。冷蔵部分も大きいし、冷凍部分もたっぷりとしたスペースがある。「幸せはこんなところにあるんだなあ」つくづくそう思った。そしてさらに食費を削減すべく、今までできなかった冷凍保存を極めようと考えた。まずは安売りで買った食パンと納豆が、常備冷凍食として冷凍庫に入ることになった。そして、まだまだ入る冷凍庫に、安売りの肉や魚を小分けして次々と入れる。冷蔵庫はスカスカにしておいたほうが電気の節約になるが、冷凍庫はギュウギュウに詰めたほうが消費電力を少なくできる。冷蔵庫には、すぐ食べる物だけを入れた。肉や魚が安いときに、コロッケやトンカツ、とりのから揚げ、アジフライなどをまとめて作り、小分けにして冷凍した。とくにコロッケは、冷凍庫の定番だった。じゃがいもは大量に、しかも激安で購入できるときがよくある。こんなチャンスを逃しちゃいけない。小分けをした豚のひき肉とたまねぎのみじん切りを炒めて、ゆでたじゃがいもと混ぜて小判型にまとめ、フライの要領で衣を付ける。いたってシンプルだが、単価は1個10円くらい。冷凍のコロッケを買うよりも安いし、ずっとおいしい。 一時期、夜にアルバイトをして少しでもお金を稼ごうとしたことがあった。アルバイトをかけ持ちすれば、少しでも貯蓄を増やすことができると考えたからだ。そこで、アルバイト情報誌をパラパラめくって探したが、これというものがなかなかない。ピンク系はあまり向いていないし......「はたして、アルバイトをすればするだけ、本当にお金って貯まるものかなあ?」情報誌に載っている時を見て計算してみると、だんだん疑問が湧いてくる。「無理に働くことはないかもしれないな」結局、そういう結論に至った。「節約はアルバイトと同じ効果がある」そう気づいたからである。確かに借金があって、今の収入では払い切れないという場合であれば、それこそ身を粉にして働いていたかもしれない。でも、給料は少なくても、日ごろの節約をしっかりやり、毎月のやり繰りと貯蓄ができていれば、まず問題ないのではないかと考えたのだ。たとえば時給800円で1日5時間のアルバイトを月に10日間したとする。アルバイト代は4万円になる。でも、今の仕事の上、1日5時間のアルバイトでは、生活が乱れる。アルバイトをしているからいいやと、料理を作るのが面倒になって外食したり、無駄遣いしてしまうかもしれない。しかし、家計を引き締めて月に4万円の貯蓄ができたとしたら、アルバイトをかけ持ちしたのと同じではないか。しかも勤務先は自宅。通勤時間もないし、子どもがいたとしたら、無理に子どもを預けることもない。そして、やり線りの成果が4万円、もしくはそれ以上であったとしたら、これほどうれしいことはない。 「だれもいない。だれも助けてくれない。自分がしっかりしなきゃ。自分しかいないんだ」鏡に映る自分自身に言い聞かせながら、うるうるとくる自分の甘い心をぐっと押さえつけようとした。バイトも見つからず、1カ月が過ぎようとしていた。そろそろ生活費も底をつきそうな感じだ。しだいに焦りを感じたわたしは、生活費を稼ぐため、真剣にバイトを探すことにした。「何をしよう?何がやりたい?」自分に問いかけてみるが、答えは返ってこない。それに、ここまで来たら、ぜいたくは言っていられない。働かせてもらえるだけでも幸せと思わなくては。生きるために仕事を探そう。近くのコンビニに行って、夕飯のハンバーグ弁当とウーロン茶のペットボトル、暇つぶしの雑誌、お菓子、そして、アルバイト情報誌を買って店を出た。アルバイト情報誌を見てみると、時給のいいバイトのほとんどはピンク系だった。以前職場で女性上司にいじめられたことがあったせいで、女性が少なそうなところで、交通費と食事が付くところがわたしの求める職場の条件。だんだんしぼられてくる。結局、都内のラーメン屋でアルバイトとして働くことになった。当時の給料は手取りで月に6万円そこそこだった。6万円の使いみちは、家賃が5万円と、そのほかのことは家計簿も何もないからほとんど覚えていない。覚えていることは、ただいつもお金がなかったことだけ。賄い付きだったけれど、食費はなぜか減らないし、貯金なんてとんでもなかった。「ラーメン屋のバイトは割に合わない」半年もすると、だんだんそう思いはじめてきた。ボーナスもないし、時給だから働いた分だけの給料。時給もそんなに上がらないし、生活は平行線のままだ。それでも、自分のアパートに帰ってくると、ほっとする。「これはこれで、幸せなことかもしれない」そのときのわたしにとって、その5万円のアパートは、自分が自分に帰れる最高の居場所だった。家賃を払うだけで精いっぱいだったが、何とか生活はしていける。それで十分だと思っていた。貯金をしようとも、できるとも考えていなかったし、まして、こんな都会に家を持とうなんて思いもよらなかった。新聞に分譲マンションや分譲一戸建てのチラシ広告が入っていても、自分にはまったく関係ない。人生についてもたいして深く考えることもなく、日々を何となく過ごしていた。 悪いことは重なるもの。そのころ、会社にもちょっとしたゴタゴタがあり、くたくたに疲れきっての介護であった。おまけに年末にさしかかり、仕事を終えて病院に着くのはいつも夜半という毎日が続いた。_入院先は会社からは一時間半ほどかかり、夜中に二~三度、排尿のため起きなければならない忍さんは大変だった。しかし、忍さんの顔を見て喜ぶ母親を見ると、疲れも吹き飛ぶ思いで、がんばった。「リハビリは年をとった母親にはたいへんな負担であり、苦痛であった。最初は板にくくりつけられて、立つだけでも胸がむかついてすぐに病室に戻っていた母親が、一ヵ月も経つと、二〇?三〇分は立ちつづけることができ、ついにはマット台にほぼ垂直に座れるまでになった。しかし、あと一歩というところで、個室だったために退院を勧告されてしまった。個室は重病人とか、緊急患者を優先するところなので、やむを得ないことだった。これから母親の介護をどうするか。大阪市内のリハビリ機能のある病院に移すか、自宅に帰って住みこみのお手伝いさんを雇うか、忍さんが会社をたたんでフリーライターに戻って自宅介護をするか、三者選一を迫られることになった。わずかでも回復しつつある母の左手足の機能を低下させないために、どうするのがいちばんいいか、忍さんは悩み苦しんだ。いちばん頼りにしていたリハビリ専門の病院は、「うちは社会復帰できる人を中心にしている。その年齢じゃ、先も知れているから......」とにべもない。その態度に忍さんは強い怒りをおぼえた。寝たきりゼロのキャンペーンは年齢差別をするのか?という疑問がわいた。老人こそ、リハビリをして寝たきりにさせないようにすべきではないか。ムラムラ怒りがこみあげてきた。病院から勧められたのは、老人病院で、リハビリはつけ足しのようなものだった。忍さんはそこに母親を入院させ、寝たきりにさせたくなかった。とすれば、やはり会社をたたんで、フリーでものを書きながら、母親の面倒をみるしかないのか。 仕事をもつ成熟した夫婦のための生活スタイルがタキさんのところでは、はっきりで きている。五七歳の夫は目がさめるのがタキさんより早く、朝型。一方、タキさんは夜型。お互いに邪魔をしあうことのないよう、タキさんの家は子供部屋を真ん中にして、 あ 両側に夫婦それぞれの部屋がある。そのほか、家族が揃って楽しむ広いリビングがある。子供部屋が真ん中にあるのは、父母のどちらからもそれとなく目が届きやすく、両親にやさしく守られている安心感が子供の心にビンビン伝わるような、深い愛情を感じさ せる配置である。食堂と居間は親子三人がゆったりとくつろぐところであり、互いに心をさらけだす交 流の場として実に広いスペースがとられている。 台所は独立している。三年前くらいから夫の雅之さんが料理に興味をもちはじめ、台所に一家言をもっているだけに使いやすくなっているとタキさんは評する。また、タキさんのオフィス空間の収納スペースに工夫が見られる。床下収納まで施され、収納スペースが確保されている。タキさんは整理魔というニックネームがついているほど、整理は上手だ。だが、一方 でもったいながり屋でもある。だから、バザーやチャリティーセール、リサイクルショ ップなども大いに利用するようにしている。モノを上手に活用することがタキさんの整理哲学。捨て魔とはおのずと異なり、あと で使いやすくしまう収納のしかたに、タキさん流の知恵があるわけだ。食堂の収納棚の側は納戸になっており、この納戸が実によくできている。整理ダン スがずらりと並ぶが、奥にはワイン用大型冷蔵庫がある。海苔、お茶などのいただき物 からゴルフ道具、絵画まで収納できるように、収納スペースはとくに工夫されている。また、ハンドバッグや旅行用鞄など、ふだんは使わないものが納戸には収納されてい て、床下にも収納ができるようになっている。日常、使用頻度の高いものは各々のクロ ーゼットや収納棚にしまい、頻度の少ないものは納戸にと分け、それも用途別に仕切りなどをうまく配して区分されている。それからアクセサリーなども、お菓子や チョコレートの空箱を活用して整理され、 ごちゃごちゃ感がなくて取りだすのも簡 単。細かいことにも配慮が行きとどいてい る。さすが整理魔の異名をもらうだけのこ とはある。ベッドは極力低くして、部屋全 体の空間を広く見せるように工夫されてい る。とくにタキさんの部屋はオフィスも兼 ねているので、ベッドの高さに配慮し下部 は引き出しで収納に生かされている。クローゼットも上段、下段と用途別に整 理してあり、夏、冬の出し入れも簡単にで きるようになっている。クローゼットは女性の生き方、おしゃれ観によっても異なるが、なるべく、季節ごとに用途別に区分する と使いやすいし、手持ちの洋服のコーディネートがしやすくなる。 オパール・ハウスがもっとも力点を置いたのは寝室に書斎コーナーがあること。夫婦のどちらかが、風邪などで体調をくずしても、相棒に気兼ねなく寝ていたり、友人とつきあえるスペースがとられていること。この場合、居間がそのスペースである。なお、ベッドは畳式にしたほうがよい。畳の固さが健康にはよいとされているから!だ。畳一畳大に幅、丈を二〇センチぐらいずっ広げるとセミダブルくらいの大きさになる。それを二つ並べると、三畳ほどの日本間ができるのもアイディアだ。ベッドの下には引き出しがついており、収納ができる。六畳大のDKを寝室と居間の間に置きたいのにも理由がある。居間と寝室が隣りあわせていると、どちらかが寝ていたら、人を招くことも控えなければならないし、人が訪れても気兼ねしてしまうからだ。よく、病人が出たからと、友人が訪れてくる約束を断わったりすることがあるが、DKが寝室との間にあれば、そうした気づかいが軽減される。その居間は広いにこしたことはないが、最低一0畳以上はほしい。それは内と外との交流の場になり、とくに五〇代からは重視したい。それには居心地がよいことが条件で、冬の床暖房設備、夏のエアコン設備は欠かせない。それと同時に段差についても考慮したい。なお、DKは最小六畳。コンパクトなシステムキッチンにし、ガスレンジはフッソ加工がしてあるものが手入れもラクで取りいれたい。ともかく、五〇代からは子供も独立し、夫婦二人の快適な生活を原則にしたい。そして、住みよく、手入れしやすく、美しく、かつ自分たちのライフスタイルを大切にできる住まいをめざしたい。

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