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栄光学園中学に合格したAくんの窓

2020年3月17日「火曜日」更新の日記

2020-03-17の日記のIMAGE
夜。長男Aくん(小学校6年生)が学習塾から帰ってきます。時間はすでに夜8時、あるいは9時。けっこう遅いですね。「ただいま!」Aくんは、玄関からリビングに入ってくると、卓球台の前の椅子につくなり、手提げかばんから塾で配られたプリント類を取り出し、整理し始めました。お母さんは、といえば、リビングのすみっこにあるキッチンでAくんの顔を見ながら、ちょっと遅めの夕食を準備中です。お仕事が終わって、いつもより早めに帰宅したお父さんは、別の椅子に座りながら、卓球台の上に晩酌のビールをどんと置き、新聞を片手にプロ野球の中継を眺めています。二つ下の小学校4年生の弟は、キッチンにいちばん近いところに陣取って、誕生日に買ってもらった昆虫図鑑を眺めてます。弟はムシキングが大好きで、それが高じてムシ好きになってしまいました。「おい、A、今日は塾でなにを勉強したの?」お父さんが向かい側に座ったAくんに聞きます。「んと、今日は算数」「なんか、学校で夏風邪が流行ってるみたいね、A、あなた大丈夫?」お母さんが包丁片手にAくんに尋ねます。「ぼくは大丈夫。あ、でもクラスで3人休んでるよ」Aくんは、お父さんとお母さんと会話しながら、今日の塾でのお勉強の復習をこの卓球台の上でやっています。「あらあら、じゃあ、ちゃんとご飯食べて体力つけとかなきゃね」Aんの復習が終わったころ、夕飯が出てきました。 入居後の手続きがまだ残っていた。住民票と印鑑証明を新しい住所のある市役所へ移し、新しい住民票、印鑑証明書を司法書士あてに送付し、登記申請の手続きを依頼しなければならない。ほかにも、引っ越しに関わるさまざまな雑事を片付けていった。そして、入居してしばらくした2月の終わりに、「償還予定表」と呼ばれる手紙が届いた。償還予定表とは、ローンの払いはじめから払い終わって残金がゼロになるまでの、支払い予定表である。月に払う金額と、その金額の内の利息部分はいくらか、そして、返済残高はいくらかなどが丁寧に書いてある。住宅ローンを組めば必ずくる手紙だ。「........」思わず目を見張ってしまうような、気の遠くなる数字が並べられている。自分のしたことの大きさを、改めてつくづく感じてしまうものである。しかし、この償還予定表も、使いようによってはとても励みになる。たとえば10年後に残りのローンを一括返済するとしたら、浮くお金が出てくる。償還予定表で、そんな繰り上げ返済の計算もできるのだ。それでも、5年分の償還予定表は気持ち悪いくらいきっちり書かれている。「もうあと戻りはできない」そんなプレッシャーもあった。まだまだはじまったばかりの住宅ローンの返済。いくら家賃なみの返済とはいえ、この重みはけっして軽いものではない。「日々の節約をこれからも続け、早期完済に向けてがんばらなければならない」そう、改めて思った。「登記済権利証」については、それからさらに時間が経って、6月くらいにやっと配達証明郵便で送られてきた。そこには権利関係のいろいろなことがらが記載されている。もちろん抵当権の設定もされていた。 「もっともっとお金を貯めたい。目指せマイホーム!」そう思って、毎月10万円の積み立てだけでは、もの足りなく感じていた。袋分けをした予算が余ったら、小銭を兄からもらったゴジラの貯金箱へ入れるようにしていたのだが、そのうちジャラジャラと重くなってくる。「いくらくらいになるかなあ...」銀行へ行って、通帳に入金してみた。「重たいし、たくさん入っているんだろうなあ」期待して集計を待っていると、結果は5000円ちょっとで、思ったよりも少なかった。「何かおもしろい小銭貯金はないものだろうか?」そう考えながら、電卓で「1」から「0」まで足していったら、「お」になった。「100」までたたいたら、「5050」。「1円から100円までのお金で、5050円貯まるんだ!」何だか不思議だった。きっと公式みたいなものがあるんじゃないかと思い、数字に強い友だちに電話して聞いてみた。公式がわかったら、あとは簡単だ。目標額を設定する。「やっぱり3万円か5万円、10万円ってところかな」切りのいい数で近い金額になる数字を探して、表を作ることにした。表は手書きでもいいけれど、パソコンならもっと簡単に作れる。あとは、余ったお金を入れて塗りつぶしていくだけ。「これはいけるぞ」100円をそのまま塗りつぶしても、外円と6円の2コマを、また8円とお円、5円の3コマを塗りつぶしてもいいことにした。こんなふうにして、オリジナル貯金シートは誕生した。それから、毎日小銭を探すのが楽しみになった。気づくと、貯金を楽しんでいる。ゲーム感覚で楽しみながらお金が貯まっていったのだ。 生活の無駄をなくしたい、そして、少しでも貯金をして自分の家を手に入れたいと考え、節約生活をはじめてから早5年が経とうとしています。その当時、「節約」という言葉自体、世間ではまだあまり聞き慣れていなかったせいか、節約=ケチと考えている人が多くいました。実際、今もそんなふうにとらえている人のほうが多いかもしれません。わたし自身も、「節約する人」として、テレビや雑誌などに出たことで、ずいぶん偏見の眼差しや言葉を浴びせられてきました。そのときは恥ずかしさと怒りで震えていましたが、「言いたい人には言わせておこう」今はそう開き直りの気持ちを持って、くじけることなく節約生活を楽しんでいます。5年前は生活するだけでいっぱいいっぱい。貯金もなく、上司のご機嫌におびえながら働く、ただのカラオケ屋の店員でした。それが、「自分の家が欲しい」という目的を持ってから、わたしの人生や考え方は180度変わりました。そんなとき、はじめて行ったマンションのモデルルームに一目惚れ。「どうしても欲しい」そんな気持ちになって、3代でシングルのわたしが、ファミリータイプのマンションを購入することになりました。当然、現金一括では購入できず、膨大な借金を背負うことになりましたが、マンションを買えたのは、やっぱり節約の成果。この本では、実際に行ってきた節約の方法から、頭金の貯め方、マンションの選び方、そして、マンションを買ってから入居するまでの体験を、一つひとつ思い起こしながら書きました。その間には、いろいろな事件や心の宮藤がありました。借金を背負うことの不安や、わたしが女でシングルであるために向けられた偏見......。でも、いつも心の中には「マンションが手に入るんだ!」という希望があって、一人でがんばってきました。貯金ゼロだったわたしが、マンションを購入できたのです!だから、今貯金がないという方も、絶対大丈夫。「マンションが欲しい」「自分の家が欲しい」という固い意志があれば、必ずできるはずです。そして、わたしの生活は、依然節約を余儀なくされていますが、今はとっても幸せです。 私は思う。両親の介護は女性にのしかかっている。とくに、シングルの女性とか、子供のいない女性におしつけられる例が、稲葉さんや他の友人を見ていると、口惜しいほど多い現実がある。シングルの働いてきた女性には意外と厳しいものが、税法ひとつ見てもある。実はシングルの私は父母を最期までみてきたわけで、友人と同じ道を歩いてきた企業戦士だ。仕事の世界ではいささかも男性に劣るところはないと自負している。私たちは仕事を全力でしてきて、なお、両親の介護という重荷を背負って生きているのだ。今後も、こうした例が増えていくことは目に見えている。こういう女性たちに、いまだなんの救いの手も差しのべられてはいない。私は同志を集め、この問題に具体的に取り組んでいかなければならないと考えている。ここで私は稲葉さんや、次項の山本さんや近山さんたちから得た教訓として、八つの方提案をしたい。【提案1】老いは想像以上に早く、加速してやってくる。加齢の生き方と住まいの設計は五〇歳では遅い気がする。早ければ早いほどよく、遅くとも四〇代後半にはしておくこと。【提案2】両親の老後を誰が、どんな形でみていくのか。家族間の十分な話しあいと確認をしてから、五〇からの生き方と住まい方を決めること。【提案3】老人ホームへの入居を選ぶか、家庭内介護に徹するか、二者択一を明確にする。後者を選ぶ場合は老人を受けいれる態勢、とくに介護室や介護しやすいように、住宅の設備、設計をはかることから始めること。〔提案4]庭のある家庭のために、介護しやすい、さまざまな新しい器具をセットしたホーム・ケアルームのような住宅を建てるのも、ひとつの考え方だ。こんなケアルーム住宅の開発を企業に提案したい。〔提案5】老後の介護を組みこんだ増改築を含む住宅設計、介護の時間を省略するための介護器具、失った機能を活性させるホーム・リハビリ設備と用具、閉じこめられた心を開く照明の研究、インテリア、本格的なホームケア要員の育成など、市町村に委讓したゴールデンプランだけでなく、国家的規模で取り組むプロジェクトの結成が待たれる。〔提案6]国家、自治体、ボランティア組織、地域住民、家族などが参加して構成する不安なき老後を支える、福祉省とか、お手伝い省の設置など、心にひびくやさしい対策が望まれる。〔提案?】経済的責任と老親介護という重圧を抱えて懸命に生きる人に、会社は介護休暇、介護室設置に対するケア住宅手当の支給など、老人を使い捨てにしない連帯意識をもってほしい。〔提案8】ついにきたというときのために、老いの生き方や住まい」に関する参考資料を集めて、自宅にいざ!読本、メモ"をつくっておくことが、五〇からのライフスタイルには欠かせない。 曽根さんは五七歳で長年勤めた会社を辞めた。重役でもあり、慰留されたが、会社の売り上げのために身を粉にして働くのは止めようと決意、いままでの経験を生かして次 世代に伝える教育の道を選んだ。五〇代に入ったとき、自分らしく、思うことをやりたい、研究もしたい、制約から解 放された自由な発想で生活に密着した仕事をしたいと真剣に考えるようになった。幸い、夫もその生き方に賛成してくれ、目下、二人ともに大学で教育者としての道を 歩んでいる。曾根さんのご主人は大学教授で、いま、福岡にひとり住まいをしている。一ヵ月に 一、二回帰ってきて夫婦のコミュニケーションを深めている。二世帯あってたいへんでしょうと聞くと、往来する交通費が余分にかかるのが不経済 といえば不経済だが、子供なしの夫婦だから、こうした交通費は惜しまないで、夫婦の 絆代と割りきればいいという答えが返ってきた。 「ご主人は福岡ではじめの二、三年は大学の職員住宅に住んでいたが、現在では東京の 車庫代ほどの家賃で一軒家を借りて住んでいるとのこと。 曽根さんも福岡の大学で月一回教鞭をとることになり、福岡の住まいにも、生活道具が分散した。が、曽根さんらしく、余分なものはなるべく置かないことにし、東京の家 で使っていた食器がわずかに移されている程度で、ここでは買い足しをしないことにし ている。また曽根さん夫婦は休みにゆったりと自然の中で憩うために、別荘を建て、長期休暇 はここで過ごすことが多い。東京と福岡とこの別荘の三極生活を上手に活用し、気分転換をしながら生活を楽しん でいる。ふだん一緒にいる夫婦よりも、離れていれば、互いに意識的に連絡をとりあい、愛情 を確認し、思いやりややさしさが強まるのかもしれない。二〇年前に立てた曽根さんの生活設計が、いま現実の生活の中に生きているように、 しっかりと先の先を見つめていきたい、と私は考えている。 セカンドハウスをもっていれば、使う前には一日がかりで掃除をしたり、寝具を干したり、燃料、食料の買い出しなど、住めるようにするまでの手間、ヒマは想像以上に大変とのこと。これを友人たちから聞いて、とうとう断念することにしたのだ。私はセカンドハウスをつくれなかったが、そのかわり、わがままに、自由に、のんびりとさせてくれるなじみの温泉旅館がいくつかある。なじみのおかみたちが家族同様に扱ってくれるので、実家へ帰った解放感を味わうことができる。心が疲れたとき、仕事で疲れたとき、なじみの温泉で疲れをとればいい。黙って私を迎えてくれる宿がある。温泉がある。おかみがいる。そして、その家族たちがいる。兄弟、姉妹よりも、心やすらぐ有縁の家族が私にはある。知縁の友だちがいる。それが私の財産だと思っている。話は少し飛躍するが、私は五〇からの人生をよりよくするためには、五つの貯えがどうしても必要だと思っている。一つには,知識と『知恵』の貯えがいる。「二つには~趣味"の貯えがいる。なんでもいいから、好きなこと、好きな時間を過ごせる趣味が五〇代からはどうしても欠かせない。三つめに、友だち、仲間"の貯えがいる。なんでも話しあえ、共に遊び、飲み、語らい、わがままがいいあえる友だちをもっていることだ。四つめは,健康の貯えだ。生きている限り元気で、健康でなければいけない。死ぬその日まで健康で生きることが私の願いである。それには食生活に気くばりすること、運動をすること。私の場合、早歩きを励行し、なるべく階段を使うようにし、断食によって胃腸の掃除をし、ヨーガで体調をととのえ、旅で気持ちの入れかえをし、好きなことをすることで健康を保っている。五つめは少々の"お金"の貯えをしておくこと。大金でなくていい、私の場合はお酒とおいしいものを食べ、全国を辻聞き書き、辻説法できるお金と、ボランティア活動ができる少々のお金があればいい。こうした、自分らしく充実した人生を実現するためにも、自分をやさしく、健康に包みこんでくれる五〇歳からの住まいには、本格的に取り組んでほしいと思っている。

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