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「頭のよい子」たちはこんな家で育ちました!

2020年3月16日「月曜日」更新の日記

2020-03-16の日記のIMAGE
有名中学合格者の家庭のおうち大公開栄光学園中学に合格したAくんの家・神奈川県/4人家族(父、母、Aくん、弟)/2階建て一軒家(5LDK)リビングにある「卓球台」が家族をつなぐ!おうちのなかに関所のある家って想像がつきますか?「え?関所ってあの箱根の関所"の?」そうです、あの関所"です。栄光学園中学に入学した神奈川県のくん宅には、2ヵ所も関所"を設けています。そして、Aくんのような「頭のよい子」が育った「家」の工夫のポイントは、まさにこの関所にあったのです。2階建てのAくん宅。まずは玄関から右手にあるリビングルームにお邪魔します。キッチンを備え、ダイニングを兼ねた20畳ほどの広々としたスペース。最初に目につくのは、なんといっても、部屋の真ん中にどんと鎮座している大きな卓球台です。卓球台?そう、フルサイズの卓球台です。リビングルームに卓球台があるおうち、あまり聞いたこと、ないですよね。Aくん宅では、この卓球台を何に使っているのでしょうか?「受験勉強による子どもの運動不足解消のため、卓球を!」「受験勉強に疲れた子どもと親とがコミュニケーションを図るため、卓球を!」...ちょっと違います。もちろん卓球台ですから、卓球もします。が、この卓球台の主な役割は、別にあります。それは、「子どもたちが家に帰ってきたあと、リビングを素通りして2階にあがったまま、親とコミュニケーションをとらなくなる」のを防ぐための、まさに“関所"の役割、です。とはいっても、卓球台が子どもたちを物理的にとおせんぼしているわけではありません。この卓球台は、こちらの家族にとって、万能リビングテーブル"として多目的に使われることで関所の役割を果たしていたのです。 鍵をもらった日は、一日休みをもらっていたので、家具や電化製品の搬入をまとめてお願いしていた。中でも電化製品のときは、たいへんだった。冬場だったにもかかわらず、冷えきった部屋で5時間近く待たされた。午後2時に電化製品が届く予定だったのだが、7時になっても来ない。確かに「遅れる」との電話はあったが......。「もう待てません!こっちはその時間に来てもらえると思ってお願いしているのに、5時間も待ったんですよ。こんな電気屋さんは、はじめてです。失礼にもほどがあります!」電話で文句を言って、そのまま帰ってしまった。結局、電化製品は引っ越しの日に持ってきてもらうことにした。家具の搬入にも、問題があった。ダイニングに買く4脚の椅子がどうしても間に合わないということで、とりあえずダイニングテーブルと食器棚だけ入れてもらうことになったのである。しばらくはダイニングテーブルの前で立って食事していた。引っ越し自体については、2週間くらい前から準備をはじめていた。雑誌、洋服、小物......、ゴミが次から次へと出てくる。この狭いアパートに引っ越してきた当時は、まだまだスペースに余裕があった。しかし6年後には、足の踏み場もなくなっている。「こんなにたくさんのゴミの山。しかも、全部お金を出して買ったものばかり......」これでは、お金もなかなか貯まらなかったわけだ。直しても直しても壊れてしまうタンスを捨てて、やっと部屋がすっきりしたかと思えば、段ボール箱の山になっていた。10箱近くあっただろうか、最初にもらっただけでは足りずに、追加をしたほどだ。「6年でこんなにも物は増えるのか!」物を捨てられない性格もあって、荷物のほとんどを新居へ持っていくことにした。それで、ついに引っ越しの日は来た。引っ越し屋のS社のお兄さんの対応がいい。家具の設置や組み立てなど、サービスもきめ細かかった。「この組み立ての家具、少しガタがきていたので、修理しておきました」「家具の位置は、こちらでよろしいでしょうか?」「テレビの配線もしておきますね」とても感じのいい人だ。「きっとお客さんの立場でものを考えているから、こういうきめの細かいサービスができるんだろうなあ」つくづく感心した。結局、アパートの荷物を運び出してから、新しいマンションに家具を設置するまで、2時間程度で終わった。「待ちに待った部屋」何にもないきれいな部屋に、生活感が漂う荷物が大量に運び込まれた。狭いアパートにあった荷物が各部屋に分散される。「しかし、こんなにたくさんの荷物があの狭いアパートに集約されていたとは!」さっそく荷物の整理をはじめた。段ボール箱に荷物を入れるときは簡単だったが、荷物を定位置に片付けるのには苦労した。ホコリがついていて汚くても、前のアパートでは全然気にならなかったが、ホコリーつない部屋に汚らしいものを聞くと違和感を感じる。一つずつふいたり洗ったりしながら片付けていった。片付けると、クローゼットは早くも満杯に近い状態になっている。「ひょっとしたら、わたしは収納上手だったのでは?」そう疑ってしまうほど、荷物がたくさんあったのだ。もしかしたら、また6年後には物が入りきらなくて、足の踏み場もなくなってしまうのだろうか?恐ろしい。やっぱり物は怖くて買えない。 新聞で毎日相場をチェックして、値段が高くなってきたら売ったり、安いときに買ったりして、ドキドキしながらもけっこう儲かった。「店頭公開して上場企業になれば、大金持ちになれるかも」持ち株会をはじめたのは、カラオケ屋の社長がそう言っていたからだった。また、1万8000円につき900円だけ、会社の補助が付いていたこともあり、それに釣られたということもある。持ち株会とは、勤めている会社の株を毎月一定額ずつ買うこと。わたしの勤めていたカラオケ屋のように、株式が未公開である場合は、社員しか買えないが、公開したらだれでも買えるし、株価が上昇すれば、儲かることもある。逆に言えば、未公開なら利息のつかない貯金をしているのと同じようなことかもしれない。ただし、会社がつぶれてしまえば、買った株の価値はゼロになってしまう。ところで、ボーナスは年に2回支給され、3万円くらいずつもらっていた。でも、「ボーナスは最初からないもの」そう考えて、もらうとすぐ貯金に回してしまった。20万円は「つみたてくん」に、そして残りは、財形の増額分6万円と、持ち株会の増額分5万4000円に回す。「つみたてくん」とは、住宅金融公庫が行っている積み立て貯金のようなもの。1回に払う金額が現在23万円、10万円、8万円と3つのコースに分かれていて、積み立て期間は5年となっている。わたしのように、「家を買うための資金」と目的がはっきりしているのであれば、いろいろなメリットがある。たとえば、金利が約1.2パーセントといいし、いざ家を買うときに、「つみたてくん」をしていれば、増額融資などが受けられることもあって、早速申し込んだ。こんなふうに、月々の貯金とボーナス時の貯金で、貯金額はみるみるうちに大きくなっていった。 とはいえ、年齢を重ねるごとに残念ながら視力(老眼、明暗への対応、色の識別など)が衰えてくることも否めない。先ほどのヨーロッパの例のように、どんなに部屋の情緒構成にすぐれていても、メニュウが読みづらかったり色を見分けられなかったりでは困ったことで、もっとよく見たい、もう少し明るければ、と常時イライラするようでは、これはストレスとなって、目はおろか体や心にもこたえる。要は、自分の暮らし方に合った照明のあり方を、基本から一度チェックすることである。自分はいったい何が好きなのか、何を大事にしてどんなことをしたいと思っているのか。その上で、機能としてよりよく見えなければならない個所、たとえば仕事部屋のデスクの上、ワープロ、台所の調理作業まわり、本を読む所、その他ピアノを弾くなら譜面を照らす、編物や刺しゅうをしたりプラモデルを組み立てるなら手元、というふうに、必要な個所、必要な位置(高さ、右側左側など)、必要な光源(直接、間接、半間接、また白熱灯、蛍光灯など)をいかに適切に選ぶか、につきる。その際忘れてはならないのは、明るさは暗さがあってこそ、という感覚であろう。「明るさ」の元気のよさ、楽しさは、「暗さ」のもつ落ち着き、心の安らぎ、との対比の上に成り立つということである。明かりのデザインとは、いかに闇をデザインするかに他ならない。〔小さなコメント]・美しく見える照明は、蛍光灯より白熱灯。頭の上からの強い光は、顔の陰影を明解にしてしまうので、年をとって見える。やはりいつまでも美しくありたいからには、美しく見える配慮をすることは思いやりでもある。・若い人よりほんの少し明るい照明にする。総体的なモノを見る力が衰えてくる。手元の作業、ワープロ、読書、そしてとくに鏡台まわり、調理作業まわりの明るさは少々明るめに。・色モノは使わない。顔色、ハダの色、料理、ファッションすべてがはっきり美しく見えるためには、光源に色モノを使用しない。白熱灯がベター。・より明るさが必要な個所にはもっと積極的にスタンドを使おう。ライティングスタンド、フロアースタンドなどモダンなものも日本的なデザインのものも豊富にあるのだから。 高級マンションとほとんど変わりはないが、なぜ有料老人ホームにしたのか、いまひとつ私は理解できなくて、再度、どうして終いの住みかに有料老人ホームを選んだのか、突っこんで聞いた。「私はね、常々、生も死も自分の責任で終焉させたいという持論なの。まして、家族をもたないシングルだから、老後の設計はすでに三〇代から心の準備に取りかかり、経済的蓄積も計画的にしてきた。以前計画していたピーチハウスもそのひとつだったわけ。でも、人生は絵に描いた風景ではない。いままで描いてきたような計画に、予想もしない出来事が起き、夢破れてしまったいま、私にとって有料老人ホームこそ最良の住みかだと考えている。なぜならね、誰にも迷惑をかけたくない。そして、人生の幕引きも、ビジネスとしてクールに処理する方法がもっとも清潔でドライでいいと思えるから。身内を期待して褒切られたり、がっかりしたり、悲しんだりするのは疲れるから、ドライに自分のしたいように割りきることがいいと悟ったのよ。葬儀も、墓もいらない、再生を祝福してもらいたいのよ。私は老いてなお一生懸命生きる老人が好きなの。ここはそういう人たちで溢れている。自分もすでに老域に入っているというのに、その人たちの姿に母をダブらせ、山のようにやり残した悔いをお返ししたいのよ。-入居者はみんな同じ集合船に乗りあわせた運命共同体だから、いざというとき、お互いに手を差しのべられることは素晴らしホームに引っ越した移転の挨拶文に、これからの暮らしはゆるやかに、やさしく生きたい。と書き添えたのは、自分がやさしくならなければ、人にもやさしい気持ちがもてないから.......。自分が自分に美しいリボンをかけた贈り物をして、余生、余生といっているような人たちに、余生ですって、笑っちゃうよ、という姿勢で生きたい」こう話して稲葉さんはふっと大きく息を吐いた。 和、洋、中の食 器を全部そろえる必要もない。好みの、使いやすく、美しいものを柔軟に、多様に使い 分けていく知恵が曾根さんの台所には表われている。食器棚ひとつでも、目線の高さで手の届きやすいところにいちばんよく使うものを置 く。そうすれば、台所仕事がスムーズにできる。こうしたことが暮らしの原型だと曽根 さんは考える。目が覚え、手や足が使いなれ、身体が覚えこんだものが、いちばん使い やすいものだ。よく高齢者には段差をなくせとか、階段は危ない、ガスは危ないと、教科書的に教え こんでいるけれど、長年使いなれ、なじんだものが、いちばんいいわけで、ああせい、 こうせい、と不慣れな新しい器具を高齢者に押しつけることは考えもの、と曽根さんはいきる。使いなれ、体の一部のようになじむには、一〇年、二〇年と長い年月がかかってお り、それを身体が弱ってきたからと急に不慣れな、親しみのない部屋の構造にしたり、 台所、トイレなどのつくりを変えてしまうのはよくない。これは八五歳になるまで、自 立して暮らしていた母親からの教訓ともいえる。住みこなし、慣れ親しみ、なじむ住まいはギリギリ五〇代、本来は四〇代の後半で、 子供が独立する年代、夫婦二人の生活が見えてきたときに、じっくりと、誰にも遠慮、 阻害されないで、自分らしい住まい、暮らし方を考えてほしいと、曽根さんはいう。 五三歳に、私にとっての節目があり、考え方と住まい方の変化に従い、リフォームした。「あんなに思いきったはずのリフォームだったが、一一年も経つと、また部分的にリフォームしたくなってきている。いやリフォームというより、もう三~四坪広ければ、もっと快適に過ごせるものをと、迷いと欲が出てきた。というのは、五〇代からはセカンドハウスをつくって、週末はそこで晴耕雨読をし、気分転換を図ろうと思っていたのが、思わぬことで挫折してしまい、いまだに実現不可能の状態にあるからだ。せまいけれども、セカンドハウスでその分を補えるという期待があったからこそ、一七坪で自分なりに納得していたところがある。ところが、その夢と期待とが実現できないとなると、いまの広さがなんとなく不満として徐々に大きくなってきてしまった。和室中心だから柔軟性はあり、その場と目的によってはうまく住まいこなしていると思うが、やはりセカンドハウスがないと、心理的に息づまるものがある。そしてなによりも、ここは集合住宅なので、スペースが限定され増築が不可能であり、また床暖房にしたいのだが、私の勝手にはできない制約がある。エアコンで十分ともいえるが、美観と快適性からいったら、床暖房に勝るものはない。私の友人たちが、床暖房にしてよかったというたびに、私はいじっとした思いにとらわれてしまう。しかし、ひょっとして、もしかして......という考えを消して、現在の住まいをどう快適にするかを考え直さないといけないと、私は気持ちを切りかえた。そして、一年おきに取り替えていた畳表を、毎年取り替え、新しくするようにした。さらに、八本ある障子もこれまでは自分で貼り替えていたが、破れていないと半年、一年のばしにしてしまっていた。それを割りきって専門家に任せて、毎年、いい気分に浸ろうと実行に移した。さらに、10本ある襖の貼り替えも、汚れはしないけれど気分一新、いい気分でいられるために、三年ごとに貼り替えようと決意。これも実行している。しめて二十数万円の費用がかかるが、気分のよさ、心地よさ、快適性には、このくらいの費用は惜しくないと実感している。とにかくわが意のままに、住みこなすために、手間と費用を惜しまないことにした。もうひとつ、私は洗濯機をもたないことにしている。場所をとることと、アイロンかけなどするのが好きでないから、これも、肌着を除いてクリーニング屋さんにすべて任せ、楽をすることを決めこんでいる。専門家に任せることも大切だと思う。こうした満足感や心地よさはお金にはかえられないものである。老後はわがままに、思うがままに暮らしたほうが自分にやさしくなれることを、わずかなお金をかけて実感したわけだ。さて、セカンドハウスをほしいと思っていたが、私はこれを断念することにした。セカンドハウスをもっている友人をみても、よく利用して一年に数回の人が多く、あとは使用していない。毎週末にセカンドハウスを使っている人は皆無である。そのためにお金を使い、手入れをし、税金を支払い、維持費にきゅうきゅうとすることはないのだと、悟った次第。その費用で好きなとき、行きたいところへ旅をすればいいではないか。そのほうが、セカンドハウスをもつ費用より安上がりで、気分はリッチ、ぜいたくこの上もない。

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