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不動産を買うより業者を変え(4)

2020年3月15日「日曜日」更新の日記

2020-03-15の日記のIMAGE
<ポイント10>
大手と似た名前の業者には注意する業者とまったく関係のない電鉄会社などの有名会社や金融機関、公共団体の名前と似かよった、まぎらわしい名前の業者をよく見かけますが、こういう業者は問題を起こすケースが多いようです。もし、おかしいと思ったら、本家筋に問い合わせるなどして確認することを忘れないことです。
不動産業者を上手に使いこなす
魚心あれば水心か
不動産業者選びの一〇ポイントを紹介しましたが、こうして選んだ業者を上手に利用する、つまり最大限の協力を得る秘訣の第一は、その業者に対して誠意をもって接することです。業者に土地や建物のあっせんを依頼するに際しては、買いたい住まいの大きさ、予算、沿線、通勤距離、家族構成や建物の間取りなどの事項をできるだけ具体的に、率直な希望を述べるようにします。誠実な業者であれば、売買などのあっせんを依頼されたときは、客に対して、よい物件を紹介しよう、できるだけ有利に事を運んであげようといった心理が働くものです。しかし、業者に対して駆引きをしたり、不必要にこちらの事情をかくしたり、力で業者を押さえるような態度で接すると、せっかく協力しようとしている業者の心を冷やしてしまう結果になってしまいます。このような状態で事を運んでも、うまくいくはずはありません。業者の能力を十分に発揮させるためには、まず、こちらがそのように働きかけることです。 「ああ、どうしよう」と考えていたところ、幸い、冬のボーナスが手に入り、何とかピンチを切り抜けることができた。クレジットカードで買った分は、遅れて引き落としされたので、ギリギリセーフだったのだ。4年間貯めてきた600万円だったが、使うのはほんの一瞬だった。「お金なんてこんなもんさ」とちょっとすねてみたりもしたが、「その引き替えにマンションが手に入るんだから」そう思うと、やっぱりうれしかった。これは、一生懸命節約に励んだ結果だ。「がんばった自分を心からほめてあげたい」そう感じた瞬間でもある。早くから節約と貯金をしたことは間違いではなかったという確信も得ることができた。600万円も貯められたから、買うことができた。もし、貯めていなかったら、あのうるさくて薄暗く、寒いアパート暮らしのままだったり、仮に少し広い部屋に住めたとしても、やっぱり賃貸のままだったはずだ。そう考えると、改めて自分のしたことの大きさに気づいた。「えらいぞ、わたし!えらいぞ、8歳のときのわたし!」4年前のあのころ、節約の素晴らしさ、貯金の大事さに気づくことができたことを考えると、うれしかった。そして、ついにとうとう鍵の引き渡しの日がやってきた。朝の9時、わくわくする心と少し緊張した気持ちで、司法書士あてに振り込んだときの受領証と、オプションで付けた手すりなどの振り込み受領証、実印を持って、N不動産が指定するビルの一室に向かった。部屋に入ると、担当のSさんがいて、部屋の鍵3本と宅配ロッカーのカードキー3枚を渡してくれる。宅配ロッカーがあるおかげで、不在でも宅配便を受け取れる。「丸山様、おめでとうございます」「ありがとうございます。いろいろお世話になりました」そう言って鍵を受け取り、受領証にサインして押印した。その足で、マンションに行った。自分の鍵で自分の部屋のドアを開けてみる。部屋に入ると、家具など一切ないまっさらな部屋があった。「これからしばらく住み続けるであろう、わたしのマンション!1年間待たされたマンション!」自分のマンションへの愛着がふつふつと湧き上がってくる。 月給21万円の中から、生活費を払って、貯金もしていかなければならない。以前月2万円で暮らしたことがあったが、とりたてて不自由ということはなかったので、「お金がなければないで生活できる」という確信もあり、単純に2から2を引いて9万、切りがいいところで、10万円を月々貯めることにした。当時のある月の収支は、固定の支出として家賃が5万円、新聞代3600円の計5万3600円。公共料金が、電気1700円、ガス1279円、水道1698円、電話2604門で、計7281円。食費が5276円、雑誌880円、日用雑貨2582円、おこづかい1万7549円で、計2万6287円。支出の合計が8万7168円だった。つまり、2万2832円のプラス。ただし、これはうまくいったときの収支だが......。貯金の内訳は、銀行の積み立て2万円、プラチナ積み立て2万円、純金積み立て3000円、一般財形2万円、住宅財形2万円、持ち株会1万8900円(内、900円は会社より補助)の計10万1900円。銀行の積み立ては、貯金専用の通帳を作ったときに銀行の人にすすめられ、月々2万円ずつ行うことにしたものだ。「プラチナは希少性があって、将来的に有望」プラチナ積み立てをはじめたのは、商品案内にこう紹介されていたからだ。しかも、現金にするだけではなく、貯めたプラチナをジュエリーに換えることもできるという。ちょっとお楽しみ要素を含んでいていいなと積み立てることにした。プラチナの口座を持っていると口座管理料をいくらか取られるのだが、同じ会社で純金積み立てもすると、純金積み立て分の口座管理料がかからないと知って、「ついでに」という気持ちで純金積み立てもすることにした。プラチナ積み立ても純金積み立ても商品先物取り引きだ。 海外旅行に行ったことがある人ならすでにお気づきかもしれないが、ことにヨーロッパではホテルのロビーや宿泊室、街中のレストランなどの照明が「暗い」。日本の皓々と明るい空間に慣れ親しんだ目には、もう少し明るければもっとよく見えるのに、メニュウや料理だってよく見えるのに、と少々イライラさせられるほどである。日本では、ことに家では、どの部屋もどの部屋も、リビングであれ寝室であれ、浴室や便所であれ、とにかく「明るい」。天井に照明器具があり、部屋一面を明るくするのがごく当たり前のやり方だし、どんな空間でも全体にカゲリがなく明るいのが常識と、体や目が思いこんでいる。そこへいくとヨーロッパでは、天井照明は公共的な空間、たとえば飛行場や百貨店などには使われるが、それでもほとんどの場合は直接照明ではなく、間接あるいは半間接明だし、空間全体をカゲリなく一様に明るくするのは好まれない。食堂のテーブルの上のコードペンダントやロウソク、読書のためのデスクスタンド、リビングのソファの両脇のフロアースタンドなど、明るさを必要とする個所に、さまざまな種類の光源が、その動作をするにふさわしいあり方で配置されている。確かに「明るさ」に慣れきった私たちの目には、少々暗すぎるように思える。が、そこに座りゆっくりと落ち着いてみると、その明るさは必要にして十分な明るさなのだと納得がいく。-日本でも昔から皓々と明るかったわけではない。昭和の二〇年代、三〇年代前半までは、外を歩いていても暗かったし、家の中でも、座敷は天井から釣りさがった白熱灯が灯だけで、部屋の四隅にはカゲリがあって薄暗かった。まして廊下や便所などは、もうオバケが出そうなほど暗かった。・昭和四〇年代に入って蛍光灯が一般に使われるようになって急速に明るくなった。マチもイエもミチもことごとく明るくなった。いわば「電気」は日本の繁栄の象徴で、家中の照明に始まり、電気釜や電気冷蔵庫、電気洗濯機にテレビと、思う存分使えるものになったのである。その反面、明るさあるいは暗さのもつさまざまな情感や美しさといったものには鈍感になってしまったようだ。月の夜の澄明な美しさ、星空の美しさ、生け垣や木立から洩れるほのかな明りのあたたかさ、暗い部屋の隅に置かれたスタンドの明かりの落ち着いた親密さなど、明るさと暗さの対比がかもしだす陰影に富んだ情感の豊かさを楽しむ気分や感覚が失われったようだ。 そうしたいくつかの見学、調査をして、いまのホームに決めた稲葉さんだ。「ここに決めた動機は?いまの住み心地はどうなの?」と聞いてみた。公社系の有料老人ホームだから安心。なによりも、相性がぴったりで、見学して即その場で入居を決断したという。稲葉さんが決断した理由を掲げてみると次のようになる。・住宅公団の提供物件で、他のホームに比較して安全度が高い。・約六六平方メートルの空間があり、洋室二〇畳、和室六畳、廊下にはミニキッチンがセットされ、バス、トイレ、洗面所にはドレッシングルームがあり、広い空間がある。洋室と和室のドア、襖を開いておけば、ワンルームのような広がりがあり、格好の間取りである。建物の外見も緑いっぱいのロケーションで、老人集団特有の感じがない。近所には若い世帯が入っている集合住宅がいっぱいあり、子供の遊ぶ声、若い人たちのスポーツ場もあり、老若男女が混在している。価格が適正。都心型と比較するとかなり安く、このグレードでは他の半額近い。・立地条件と交通の便がよい。・四〇〇人を超える入居者がいて、集団社会の生活パターンが定着している。・住宅公団の介入で、度を過ごしやすい自由が適度に管理されている。・ベランダから富士山が見え、眺望が素晴らしい。このようにメリットが多いから快適だと、稲葉さんはいう。 曾根さんは料理好きだ。一日中、台所にいて料理をしていても飽きることはないとい うほどだが、その割には余分な道具は見当たらないシンプルなアレンジだ。 台所は二列型システムキッチンで、二つ口ガスレンジ(汚れにくいフッソ仕上げ)である。五〇歳からは子供がいても独立して離れていくので、台所は、夫婦二人か、それぞれ 自分のことを考えてシンプルに、使いやすく、ほどほどの広さで十分とする住まい方を 曽根さんは勧めている。 ・ガスコンロは二口で十分。鍋はどこの家にも十数個あるようだが、多すぎる。三つ重 ねの大中小の鍋に、それぞれサイズが合い三様に使えるフタを一つ。ほかには、楕円形 (これは蒸し器にもなり、魚を一匹姿煮することもできるよう工夫されている)の鍋一 つと小ぶりのフライパンと、軽くて中深の煮込み鍋があれば十分という。曽根さんは料理に卓越した関心をもっているだけに、鍋ひとつにもこだわりをもち、 既存の鍋の欠点をチェックし、日本の食生活に調和したオリジナルデザインにトライし ている。たとえば洗いやすい鍋底の工夫、また鍋底にミゾを入れて、出しカスや野菜くずなど を集めて汁を汚さない工夫など。それにも増して、曽根さんのデザインした鍋は美し い。それでいて使いやすく仕上がっていて、一目見ただけでトリコになってしまう出来ばえだ。現在、老若両層にこの鍋が愛用されている。あるとき曾根式シチューをごちそうになったが、なんと盛られた食器は抹茶茶碗。こ んなシャレた使い方があるのかと感心した。 曾根さんはきまりや常識などに捉われないで、好みの器を自由に使うことが、暮らし のセンスだといいきる。スープはスープ皿にと考えないで、お椀でも、小鉢でも、コー ヒーカップでもいい。アイディアがセンスになって光る。ことさらに用途別などという既成枠をはずすことで、出番の多い食器類を工夫しなが ら合理的に使えば、収納部分も少なくてすむし、整理も簡単にできる。 次に本の整理だが、収納スペースが限られているだけに、これには頭を悩ましている。心がけとしては雑誌類は一ヵ年分に限り保存、あとで役に立ちそうなものはスクラップ保存するようにしている。一方、単行本はなかなか捨てがたい。北側のベランダ書棚に収納しているが、一一年も経つと収納しきれるものではない。そこで、毎年、本のアレンジデーは月見の日と決め、お月さまの号令によりこれも断固として実行している。それから押し入れの中は頂戴物がぎゅうぎゅう詰めに押しこまれていたが、いまでは頂戴物で一年使わなかったものはバザーなどに寄贈し喜ばれている。とくに、葬式とか、法事、結婚式の引き出物は基本的には、気にいったものでも全部寄贈することに、自分の中でルールをつくっている。陶器類もまた迷いのタネである。食生活が年々和風になり、もてなし料理は和食中心、食器もそれに伴って整理している。洋食は食べたいときはおいしい専門店に出向けばいいと、洋食器は追放した。中華料理も、まず家ではつくらないので手放した。すると、どうだろう、食器棚はなんともすっきり見違えるようになる。最近、家ではコーヒーを飲まないのに、コーヒーセットがあることに気づき、これを排除した。ずっと気になっていたが思いきれなくて、食器棚のアクセサリーにしていたところがあったが、思いきってよかった。紅茶は時折飲みたいので残してあるが、これとても、よほどのことがない限り、わが家では不要だ。ほとんど、日本茶が中心になっている。ただわが家に来る人たちはビールやお酒やワイン、ウイスキー、ブランデーといったものを好む人が多く、この種の器だけはこだわり、自分の気にいったものを置いている。

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