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不動産を買うより業者を変え(3)

2020年3月14日「土曜日」更新の日記

2020-03-14の日記のIMAGE
<ポイント8>
不動産鑑定士のいる業者を選ぶ昭和三〇年代の高度成長時代、地価の高騰が卸売物価指数を上回るようになり、公共用地の取得難が生じました。そこで政府は、昭和三五年に建設大臣の諮問機関として「公共用地取得制度調査会」のほか、さまざまな審議会を発足させました。そして、三八年には「不動産鑑定評価に関する制度の確立について」の答申と鑑定法(不動産の鑑定評価に関する法律)の公布がなされ、今日にいたっています。すなわち、地価の混乱に歯止めをかけるため、土地等の適正な価格の形成を目的とし、あわせて宅地対策としての一連の制度を実施するための基礎的な制度として、鑑定法の施行にともなって、不動産鑑定制度が発足しているのです。この中心的な役割を担い、これらの制度を推進していく母体となっているのが不動産鑑定士で、現在、全国で約四、〇〇〇名が活躍しています。不動産業者の事務所にも、かなりの数の不動産鑑定士が勤務しています。このような不動産鑑定士のいる業者にあっせんを依頼すると、当然のことながら不動産鑑定士は不動産に関する法律に詳しく、価格の判定も的確ですから、より安心できるといえましょう。不動産鑑定士のいる業者はすなわち頼れる業者のトップクラスといえるのです。
<ポイント9>
提携ローン付き販売をしている業者はまず安心できる提携ローン付き販売というのは、売買代金の支払いにあてるための資金を買主が銀行から借り入れる場合、その借入金を買主が銀行に返済することを、売主である業者が保証する条件で販売することです。もし買主が借入金を返せないときは、買主に代わって業者が返さなければなりません。銀行としては、いざというとき確実に借入金を返してくれる見込みのある業者でないと提携ローンに応じないはずで、したがって、提携ローン付き販売を行なっている業者はまず安心・信用してよいでしょう。 「頭が痛くなるくらい、お金が次々といるんだなあ」今度は、悲しいため息が出た。まずは、不動産登記に必要なお金。登録免許税や不動産取得税、固定資産税、登記手数料などだ。ただし、これらは一つひとつ払うのではなく、まとめて請求されるから、支払いについては、たいして面倒ではない。合計で1万円かかったのだが、600万円の中から引き出して、担当の司法書士あてに振り込んだ。「強制積み立て3カ月分よ、さらば......」次に、ローン関係のお金。ローンの契約書の印紙税や、申請手数料、保証料などで、合計すると2万円くらい。10日後くらいに、同じ口座から、自動的にまとめて引き落とされた。ほかにも、団体信用生命保険料が約4万円、特約火災保険料が約2万円、特約地震保険料......。同様に同じ口座から、次々と引き落とされた。これらをまとめると、7万円くらいかかったことになる。これらのお金関係の支払いは、はっきり言ってしまえば、販売会社任せ。面倒なことはないが、お金はかなり必要となる。言われるがままに「はいはい」とお金を払わないと、マンションの鍵はもらえないのである。それから、オプションで浴室の乾燥機と温水便座、トイレの手すりなどを取り付けたので、その代金が3万円かかる。数日後、3万円を口座からキャッシュカードで引き出し、すぐに工事を担当しているF建設が指定する口座に振り込んだ。さらにその翌日、修繕維持積み立て基金として、30万円が口座から引き落としされる。そして2日後、いちばん大きな金額、マンションの頭金として払う500万円を振り込む日がやってきた。操作は簡単で、ATMで直接金額を入力して、指定口座に振り込むだけだ。「もうこうなりゃやけくそだ、持ってけドロボー」それからちょっと遅れて、クレジットカードで買った家具代20万円と電化製品代10万円、それにカーテン代5万円が、同じ口座から引き落とされる。ここでちょっとたいへんなことが起きた。お金が足りないのだ。 クッションカバーも新品のように生まれ変わる。「ああ、捨てなくてよかった」生まれ変わった布製品を見て、つくづくそう思った。また、節約をはじめて、買い物の仕方も変わった。安易な気持ちでは買わないようになったのだ。何を買うにも、しばらく考えてから買う。「これは本当に必要か?ほかのもので代用できないか?使い回しできるか?」こう考えると、たいていは買わない選択をすることになる。それでも、まだ買うか買わないか迷ったときは、とりあえず買わずに1週間考え、1週間経っても欲しいときだけ買う。これで、買い物の失敗が本当に少なくなった。100円ショップでも、安いからといってあれもこれもとカゴに入れていると、知らない間に、かなりの金額になってしまう。レジに行く前には必ずチェックするようにした。そうすると、「今までなくても不自由していなかったのだから、やっぱり必要ないだろう」という答えが出るものがほとんどだった。こうなってくると、部屋にある今まで無駄遣いしていた物が目についてくる。考えてみると、買う必要のあるものは少ししかなかった。「どこにお金を使ったかわからない」こう言っておきながら、無駄遣いは随所に現れていたのだ。「ぜいたくなんてしてないのに」そう嘆いていたけれど、今まではお金を使うという意識が薄すぎたのだ。「わたしが欲しいのは家。それを手に入れるまでは、安くたって、気軽に買い物はしない」考え方がそう変わると、お金の使い方も変わっていった。こうして、公共料金や食費、雑貨など、一つひとつ節約していったわけだが、節約すること自体は、たいへんなことでも何でもなかった。ただこうなりたいと思う自分の目標のためにやっていること。家を買う頭金を貯めるために、節約という方法を選んだだけだ。「節約すること自体を楽しんじゃおう」そう思ってやっていると、何だかとても楽しかった。 ところがこの目に見えるモノの中に、記憶や思い出、または、夢や憧れ、といった「目には見えない」ものを得るためのモノが相当数あるのに気づく。ピアニストを夢みて練習に励んだピアノ。未知の世界の冒険に憧れて買った膨大な書籍。青春の、恋の、結婚の、あるいは子や孫の思い出のアルバムやモノ(古い恋文や幼かった日の子供の手づくりの品々など)。これらをいちがいに不用のモノといえるだろうか。ゴミのように捨て去るほど、私たちは強いのだろうか。人は、誰でも時間的生きもので、だから年を積み重ねた分だけ、その背景に「目に見えるモノ」、「目に見えないモノ」を背負いこんで今があるのだ。だから整理が必要なのは「目に見えるモノ」で、「目に見えないモノ」を構成しているモノたちは、よほどことがない限り断ち切ることはできないし、また、それがよくも悪くも「自分だけの歴史」の産物としてもちつづけていく、そのくらいのスペースはあってもいいのではないだろうか。そのくらいのスペースをもつことを主張してもいいのではないだろうか。今、を起点にしてこれから、自分は「何を大切に生きていくのか」、それをもう一度ここでじっくりと考えてみたら、自分にとって「必要なモノ」(それが目に見えるモノでも見えないモノでも)がわかってくるはずである。そういう年頃なのだ、五〇歳を過ぎたら。京の着だおれではないけれど、「着ること大好き」人間なら、家の半分くらい思い切ってウォークインクローゼットにすればいいし、本大好き人間なら、家中本棚でかまわない。とにかくモノ大好き人間ならば、それこそ足の踏み場もないくらいモノをためこみ、モノに埋もれても本望であろう。要は、我が儘(あるがまま)に、モノをもち、モノを捨てよう。モノは私の生きた証明なのだから。【小さなコメント】・最低でも六・五平方メートル(約二坪)はほしい。それに共同の保管庫などがあればぜひ借りておきたい。・「増えたらへらす」鍋でもいただきものでも。食品はすぐ食べる。食べきれないものは新しいうちにプレゼントする。・押し入れ状の収納は二段ではなく、段が多いほど使いやすく、たくさん収納できる。また、奥行は布団をしまう以外は三〇センチくらいが適当。 「有料老人ホームの基本的実態はほぼ互角、部分的に多少の優劣はあるけれど、選ぶ人の人生設計、価値観と経済力、グレード志向、立地条件と相性みたいなフィーリングが決め手となるように思う。方老人ホームのチェックポイントとして、どのホームもほとんど終いの住みかとはいいながら、病気になった場合の対応は不明瞭で全面的に期待しすぎないほうが賢明といえる。企業歴がまだ浅い産業だけに、終生介護の構造がまだ完成していないのが現状だ。もうひとつ、倒産についても保証はない。潰れるようなことはありませんか。という質問に対し、正直な企業は、ゼッタイないとはいいきれませんが、潰さないようガンっています。と答えており、どの企業もこれがホンネと思われる。入居の選択には、経営系列のしっかりした知名度の高い大手を選び、さらに経営状況などを専門家に依頼して調査してみるのも、安心を買うという点で賢明といえる。近所の店が経営しているというようなホームは避けるべきだ。また、グレードの高さばかりを売り物にしている中、小企業の経営するホームも、中身が見えないだけに、要注意」と稲葉さんはアドバイスしている。そして、「公社、公団、自治体などがテストケースとして住宅を提供し、一般企業が経営する半官半民的ホームの安心度はかなり高いが、終身介護については他の産業と同じように一抹の不安を残している。既存のホームについては、そこに入居している組合活動や結束などを見るのもひとつの手で、管理組合の弱いホームは食費、管理費の値上げなど、入居者の不利になることが多いように思われる」とも教えてくれた。 食堂と居間は仕切りがなく、壁面は白で、道具は壁面を生かすため、なにひとつ置い ていない。これは、亡くなった母上が絵をたしなんでおられ、その作品展を近所の人や友人、知 人を招いて開くために、ちょっとしたギャラリーになるように意図したという。母親の作品展には、近所の魚屋さん、八百屋さんなど、二日間で六十余名の人が集ま ったという。現在は、この壁面には友人の作品がかけられており、ひきつづき友人や内 輪のギャラリーになっている。寝室は居間に、壁とドア仕切りで隣接して、プライベート空間となっているが、トイ レ、浴室、洗面所が寝室の一部にあるところが曽根さんらしい。二〇年前といえば、ま だ曾根さんが三〇代後半だったはずだが、これなら年を重ねても、体が不自由になっても、トイレ、浴室、洗面所の改造はしないですむ。先見に富んだ設計である。もうひとつ、インダストリアルデザイナーらしいのは、工房が寝室の隣にあること だ。もっとも、いまは書庫と化しているが、まとまった長期間の仕事をするときは、こ こが書斎にも、工房にも変身する。しかし、曽根さんは、居心地のいいところでいちばん長く時間を費やすことを勧めて いる。曾根さんにとってそれは居間だ。居間のソファは曽根さんの手製で、軽くて移動 しやすく弾力性を考えた曽根式オリジナルソファである。生活道具研究家だけに、ムダがなく、使い心地がどれひとつとってみても、なるほ ど、なるほどと驚かされるものばかりだ。 五〇代は自分の好みがはっきりしてくる。そこで、二〇代、三〇代、四〇代に思いつきのままに買い求めたものを整理、追放するときではないかと私は思う。引っ越しをするたびごとに、ムダなもの、不要なもの、ちょっと惜しいけれど新しい住まいには合わないものを整理してきたつもりでも、二〇年近くも住めば、モノはいつのまにやら二倍、三倍と増えている。そこで私は3S主義を自分の基本にしている。3Sとは生き方、考え方、暮らし方、まい方をギリギリまで単純明快にシンプル化すること。すっきりとぜい肉を落として、暮らし全体をスリム化していくこと。ムダなものを省略し、センスを磨くこと。この3Sをモノサシにすると、まず人生設計も、生活設計も、単純化という路線が出発点になる。私は八三歳からひとり暮らしをすることになった父に、この3Sを提案した。ちょうど、私の住まいのリフォームと前後して、父の住まいのリフォームが行われたが、父の方が言い出しっぺの私より、すっきりと、いさぎよく3S方式を実行に移し、私はただ呆然と見守るばかりであった。こうした父に刺激され、私自身も極限まで3Sに徹したスリムな暮らしを心がけている。たとえば、衣類は、和服を除いて、三年着ないものは、クローゼットから取りだして、着るか着ないかを自問して、惜しいなと思うものでも、ほしいという方に差しあげるなり、運よく気にいっていただければ超目玉価格で買いとっていただく。オークションに出して、その売り上げを高齢者用の施設に寄贈することもある。三日坊主にならないように毎年、春秋の彼岸の前後の休日をアレンジの日と決めて実行している。ふしぎなもので、自分が気にいっているものは何年も飽きずに着るが、衝動買いしたり、値段に惚れて無計画に買ったものは、まず着ない。そんなことはわかっていながら性こりもなく、六〇歳を越えたいまでも時々ミスショッピングする自分に対する反省もこめている。

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