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不動産を買うより業者を変え(2)

2020年3月13日「金曜日」更新の日記

2020-03-13の日記のIMAGE
<ポイント4>
業者を監督する役所で調べるより詳しく調べるには、業者に免許を与えた役所に行くことです。建設大臣免許の場合は、建設省計画局不動産課、知事免許の場合は、その都道府県庁の住宅課か建設課へ行けば、業者名簿を見ることができます。業者名簿には、会社名、役員の住所・氏名・年齢・経歴、資本金または資産、設立年月日、株主名簿、取引主任者の氏名・経歴、従業員名、業者の経歴、所得などが記されていますから、ここから信用度合いを判定することができます。
<ポイント>
重要事項説明書を出さない業者は相手にしないこと登記された権利の種類、内容、登記名義人等々、業者は、その物件に関する重要事項を文書で説明しなければならず、この文書を重要事項説明書というわけです。重要事項説明書は、不動産の専門知識のある取引主任者が作成し、契約する前になるべく早く交付することになっています。ですから、請求しても重要事項説明書を出さない業者は相手にしてはいけません。
<ポイント6>契約を急がせる業者は危険契約を急がせたり、安請合いをするような業者は要注意です。良心的な業者であれば、あなたが不動産を購入するために必要な判断材料である重要事項説明書、図面などの資料を提供して、考える時間的なゆとりを与えてくれるはずです。そういうことをせず、いきなり手付金をとろうとする業者は危険がいっぱいですから、長居は無用、そのまま帰ることです。
<ポイント7>
業者団体に加入しているか不動産業界には、業態によって結成されたいろいろな業者団体があります。これらの団体では、一定の基準をつくって加入者を選別しているうえ、自主規制につとめ、違反業者を締め出す体制を整えています。さらに、一般客の相談に応じ、加入者とユーザーとの間に起きたトラブルの解決にもあたっています。ですから、業者団体に加入している業者であれば、いちおう安心してよいでしょう。どの団体に加入しているのかは、事務所の入口に会員証を掲げて団体名を表示していますから、これを確認しておくことです。いずれの団体にも加入していない業者はアウトサイダーと呼ばれ、自主規制に加わっていないために問題を起こすことが多いようです。もっとも、アウトサイダーであっても誠実な業者もいるわけで、すべてのアウトサイダーを否定することはできません。 ついに待ちに待った鍵の引き渡しの日を迎えることになるのだが、そのときに持っていかなくてはいけないものがあった。それは、頭金の残金と税金などのお金を払ったという受領証である。逆に言えば、入居するためにそれらのお金を支払わなければならない。合計すると、ある程度まとまった金額となる。ついに4年の成果と言うべき節約の集大成を引き出す瞬間であった。そのときの貯金は、マンションを買うと決めたときよりもさらに増えていた。プラチナ概み立てが107万円、純金積み立て5万4000円、住宅財形105万円、銀行の定期預金3万円と積み立て定期が105万円、普通預金3万円、「つみたてくん」120万円、郵便局の養老保険100万円の、計603万4000円となっていたのだ!貯金はいろいろなところへ預け分けしていたため、何カ所かの銀行を回り、一つひとつ解約をして、約600万円を現金にしていった。このとき、生まれてはじめて100万円の札束を手にした。きれいなピン札が束になって、帯封がしてある。「うわあ、帯封だ......」はじめて見る帯封に感激し、記念として取っておくことにした。600万円はとりあえずATMで一つの口座に入金する。通帳に印字された数字を見ると、その数字の大きさに改めて感動し、ため息が出た。「マンションを購入するとなったら、あとはお金が出ていくだけ」貯めてきたお金を下ろすにあたって、そう実感した。住宅を取得することは、単に広告に載っている金額を払うだけではない。実際、そのほかにも、ことあるごとに、こまごまとしたお金が吸い取られていく。 洋服を買うといったらTシャツくらいで、それも、できるだけ1枚500円から1000円を限度にした。また、友だちからもらうこともあった。ただ、木綿のシャツなどは月日が経つうちにだんだんと薄汚れてくる。白いものは黄ばんだり、黒や紺などの濃い色のものは、被せてみすぼらしくなってしまう。くたびれたシャツはどうしても着る気をなくしてしまう。洋服だけでなく、シーツやまくらカバー、クッションカバーなども、同じように色が褪せたり、黄ばんだりしてくると、何だか不潔っぽく感じていた。「まだまだ着れたり使えたりするのにもったいないなあ」そう思っていた。破れてもいないし、大きな穴が開いているわけでもない。以前はあまり深く考えずに処分してしまっていたものだ。しかし、節約をはじめてからは考えが変わった。「まだまだ使えるものを捨てるのは、やはりよくないことだ!」そう考え、木綿の布は染め直すことにした。まず、手芸用品屋さんで、市販の染め粉を買ってくる。洗濯機の中に黒の染め粉と色褪せた黒いTシャツを入れる。染め終わって日に干したら、新品のように生まれ変わった。色があきたカラージーンズも、流行りの色に染め変えてみた。そうして毎年、その年に流行っている色に染め変えて、ずっと何年もはいている。ただ、安いといっても染め粉を買わなければいけない。「もっと身近な材料で染めることはできないかなあ」そう考えて、染め粉を使わない方法を探した。もっとも簡単なのは、紅茶染め。濃いめに煮出した紅茶に白い布を入れるとセピア色になって、とってもおしゃれに変わる。ヨモギやタンポポなど、道端に生えているような草花や、玉ねぎの皮などでも十分。ナチュラルな色合いに染まり、心が落ちつく。黄ばんだTシャツにしぼりを入れて染めれば、世界で1枚しかないTシャツに早変わり。 日本人はモノをもちすぎている。モノの所有数でいうと、日本人が七〇〇〇点でもっとも多く、二位のドイツ五〇〇〇点、アメリカ四〇〇〇点でこの順位を見てみると、ただモノをたくさんもっていることに驚くだけではすまされない点が浮かびあがってくる。国土の広さとのかねあいといおうか、つまりは家の広さとのかねあいで考えてみれば、驚くべきモノの数で、まさにモノに埋もれて生活しているといえる。たとえば鍋一つ取りあげてみても、平均で三〇個くらいはもっていて、そのうち常時使うのは半数以下の一〇個程度。皿小鉢のたぐいは、自分で購入したもの、御中元御歳暮、結婚式の引出物など、いただいたモノ数知れずで、自分の所有物ではあっても、その所有数も所有内容も収納場所も、しかとは確認できないのが現状であろう。これが皿小鉢に限らず、衣・食・住の全域に渡るのだから、我ながら「スゴイ」と思わざるを得ない。とにかくモノが多い。それも使わないモノ、忘れ去られたモノが多「収納」を考えるとき、何をどのようにしまうか、ではなく、まず「モノを整理して捨てる」ことを前提にしない限り、前には進まない。・収納が多いにこしたことはないが、「使わないモノ、いらないモノまでしまうスペースはない」と自覚することが第一歩であろう。いま首都圏で四人家族の家の平均的広さは七〇平方メートル前後である。その中で収納に使われる面積は三・五平方メートル(約一坪)くらいだろうか。「エッ、そんなに狭いの。どうりでモノがテーブルの上にも戸棚の上にもあふれている」と思われるだろうが、それはいわゆる押し入れとか作りつけ物入れの面積である。よく見まわせば、家具という家具は、もうほとんどすべて「収納」のためにあるといってもよい。洋服ダンス、整理ダンス、食器戸棚に始まり、本棚、飾棚、サイドボード、ドレッサー、ライティングビューロー、冷蔵庫などすべて「収納」で、かろうじてモノをしまうことから解放されているのは、ソファ、食卓、椅子、ピアノくらいであろうか。このような家具まで収納スペースとして換算すれば、家の三分の一強が収納に費やされている。七〇平方メートル六〇〇〇万円の家だとすれば、なんとその三分の一、二〇〇〇万円が収納代という勘定になる。モノ一つ一つの値段はそれほどでなくても、積もり重なれば、家の機能の中で「収め納」は、他の機能をさしおいて相当高くついていることになるわけである。さてそれではどうするか。驚きあわててモノを捨てる前に、モノの二つの面を考えてみてほしい。まず第一の面は、「目に見えるモノ」。私たちが生きていく上で、衣・食・住全般に渡ってどうしても必要と思われるモノ、これは大体が「目に見えるモノ」の範囲であろう。 母親を亡くしたあと、稲葉さんはたとえようもない虚脱感に襲われた。いままでのように仕事に対する興味も薄れ、殻を閉じた目のように、自分の心にカギをかけて閉じこもり、「どうしよう、終いの住みかをどこに定め、どんな老後を過ごせばよいか」と、自分との葛藤が続いた。「母親の面影を残す古い家を壊して新しく建て替えてみたら」とか、「外国を旅行していらっしゃい、気分転換になるわよ」などと、落ちこんでいる稲葉さんに周囲が声をかけてくれたけれど、虚脱状態の稲葉さんにはなんの役にも立たなかった。そんなころ、顔見知りの大工さんから「いまの家をアパートに建て替えてみたら」という話がもちこまれ、その方向に気持ちが動いたこともあった。しかし、「そうしましょう、お願いします」という結論を出すところまで、自分の中で老後の設計ができあがっていなかったと稲葉さんはいう。明確な青写真のないまま、人生の行きつくところが見えてしまった年代の生き方のむずかしさを稲葉さんはとことん味わった。ある日、稲葉さんは悟った。明日も、今日と同じように生きればいいのだ,と。稲葉さんは迷いから脱出し、立ち直った。そして、バリバリと以前にもまして、仕事を始めた。長い間、迷いつづけた住まいについても、「有料老人ホームを終いの住みか」と決めた。それから、約一年の間、稲葉さんは伊豆、熱海、湯河原、箱根、千葉、浜松、神戸、岡山、東京都内の都市型を含め、三十数ヵ所の有料老人ホームを見学し、体験入居による調査を繰り返した。 曽根さんの住まいは、いまから二〇年前に設計されたとは思えないほど、現在の曾根 さんのライフスタイルにマッチしている。いま注目されている都市ガス床暖房を全室に 施していることも驚きだが、二〇年前、すでに将来を見据えた人生設計ができあがって いたことに大きな驚きを覚える。広い玄関を母親と共有にして、右と左に母親と娘夫婦の住居空間が住み分けられてお り、それぞれが機能的に独立している。玄関が広く、玄関のドアは100センチもあ り、車椅子の生活でも悠々と出入りできるようになっている。母親の部分は図面でみてもらいたいが、年を重ねたときの準備(当時母親は六五歳だ った)が万全に設計に取りいれられている。浴室、トイレ、洗面所は年老いても看病しやすいように母親専用となっており、寝室 と納戸兼クローゼットが独立して隣接している。ここに母親の身のまわりのものが全部 納まっている。幅一メートルの廊下をへだてて八畳の和室があり、一二〇センチの広縁 は庭に出入りしやすくなっている。生前にはこの広縁は隣近所の人たちが訪れるたび に、座布団が出され、素朴な交流の場になっていたようだ。この縁側はご縁を結ぶとこ ろで、昔ながらの日本の住まいには必ずこのご縁の側がついていた。専用の台所は、通路といおうか廊下脇の和室の前にあり、一列型で奥行は六○センチ、流しと調理台と二口ガスコンロ台だけといった簡単なもの(曽根さんは母親ひとり の台所はこれで十分という考え方)。料理が終われば、ブラインドカーテンで目隠しし てしまうという操作が工夫されていて、すっきりと視覚的に生活臭を消してあり、住ま い全体とみごとに美しく調和している。 一二坪の2K(クローゼット兼納戸付) スタイル。高齢者との二世帯住宅のよきサンプルとなるので、紹介しておく。さて、曽根さん夫婦の部屋は二八坪、2LDKのスタイルだが、LDが広くとってあるのは夫婦とも(どちらかといえば曽根さんかな?)、家で大勢集まって、わいわいと 楽しむのを好むので、この部分に重点を置いている。 私の人生設計の中では友人、仲間と交流することが大きな部分を占めている。その交遊空間をどうするか。私は柔軟性のある日本間と決めている。七~八人ならば六畳間で大丈夫だが、それ以上になると六畳間だけでは窮屈なので、四畳半との仕切りの襖を取りはずすことにしている。すると、一〇畳の広さになるから人数が増えても間に合う。もてなしも、脚っきお膳か、折りたたみ二月堂机に座布団といった具合。限られたスペースに応接五点セットや食卓セット、ソファ類はいっさい置かない。もちろんテーブルもなく、私の和室はふだんはなにも置かないスリムなものだ。折りたたみ式の二月堂の文机を五組用意しているが、ふだんは折りたたんで隙間にしまっておけるし、取りだし自由、原稿書きにも愛用している。ヨーガをやるときに便利な花ござも、伸縮自在で奥深いものがあり、私はこれら日本の伝統的生活道具をこよなく愛している。花ござは一畳大のものを三枚用意している。針仕事をするときは一昼大を敷いて作業をする。糸屑などの汚れは花ござを丸めてパンパンと払い落とせば簡単に始末でき、収納もくるくると丸めておけばよい。場所もとらず、この一畳が自分の仕事場のコーナーともなる。使い方ひとつでこんな演出ができる便利なものである。簡単で、美しく、余計な場所をとらず、出し入れ簡単という道具は日本にはまだいくつも残っていると思うけれど、私がこよなく愛用しているのは花ござ、二月堂の折りたたみ式文机、何重にもできるいれこ(大きいものの中に順に重ねるようにした同じ形の器や箱)。脚つきお膳も重ねて積んでおけばよく、私はお膳だけでなく、電話台とか、小物飾り台とか花器台として使いわけたり、変幻自在に活用して、重宝している。

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