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かしこいマイホーム情報の集め方(2)

2020年3月9日「月曜日」更新の日記

2020-03-09の日記のIMAGE
新聞にも、テレビにも、電車の中にも、快適でモダンな住宅の広告が満ちあふれています。そしてそれらは、あなたに「新しい快適な住まいはいかがですか」とささやきかけています。何となく、いいなあという気にもなるはずです。あなたは、自分と家族のために、よりふさわしい住まいが必要だと感じていらっしゃるでしょう。あるいは、すでに住宅を買う決心をしておられるかもしれません。ですが、あまりあわてないでください。広告を見るのも結構ですが、その前に、まず、あなたの生活のしかたにふさわしい住まいはどんなものか、ライフサイクルを考えたうえで、自分が住まいを買う目的は何かをはっきりさせておかなければなりません。というのは、その目的によって住まいの諸条件がかわってくるからです。総合的にいえば、就寝、食事、育児、教養、団らん、読書、趣味、交際、休養、通勤通学といった生活上の要求を、安全、快適、便利さなどの面からバランスよく満たしてくれるものが望ましい住まいだといえましょう。
住まいの役割でどれを優先させるか
しかし、現実には、あなたの生活にとって申し分のない住まいがあなたの希望する価格で手に入ることは、まずありません。ですから、住まいのもっている役割のうち、あなたの生活にとって何を優先させるかを決める必要があります。たとえば、残業の多い人は職場に近く、小さな子供さんをかかえた夫婦共働きの人は保育所の充実した地域に、ぜんそくの子供さんのある人は空気のよい環境が一番というように、人それぞれの生活にふさわしい住まいがあるはずです。音に過敏な人や庭のある生活を好む人にはマンションは不向きですし、逆に、庭の手入れは面倒だと感じる人、よく外出し留守にしがちな人はマンションのほうが適しているでしょう。これらのことを考えて、いま住んでいる地域にこだわらず、広い範囲に目を向けなければなりません。そして、あなたがその地域に住みたいと考えている理由を、もう一度見つめ直してみてください。買そうすれば、いままで考えてもみなかった地域であっても、あなたの希望を満たしてくれるところ嫉が必ずあるはずです。 それでも、入居までにはまだ時間がある。ファイナンシャルプランナーの学校へ行くときに、ビニールシートに覆われた建設中のマンションを、電車の窓から見ることができる。「まだシートは取れないのかな?まだかな?」電車で通るたびに完成を心待ちにしていた。秋になって、ようやく外観が完成し、ビニールシートが取り払われる。「ああ、もうすぐだねえ」ビニールシートの中から現れたマンションに語りかける。「わたしのマンション!」引き渡し日まで1カ月の間、今度はビニールシートのない、ぴっかぴかの建物に呼びかける。そして一日一日を塗りつぶすように、入居できる日を待ち続けた。ようやく2月の初旬になって、「内覧会」があった。はじめて新居とのご対面の日。その日は冬晴れで、凍るような寒さだったけれど、天気はとてもよかった。朝の9時半からはじまる内覧会に自転車で向かう。「入居まであと少し!」白い息を吐きながら、わくわくする気持ちをペダルに込めて自転車を漕いだ。マンションに着き、自分の部屋にドキドキしながら入ると、この新築のにおいのする部屋が「よろしくね」と言っているようだった。白い床が冬の太陽に照らさせて、まぶしく光っている。「ここで昼寝したいなあ」心底そう思った。そして、「本当にこの部屋が、わたしのものになるのだろうか?」と、ぴっかぴかの部屋を見て、信じられない気持ちでいっぱいだった。「本当にここに暮らせるんだ!」同時に、何とも言えないうれしい気持ちも湧いてくる。内覧会では、傷やへこみ、ゆがみなど、部屋のすみずみまでチェックする。気になったところが8カ所以上もあっただろうか、それでも思ったよりも傷が多いなと感じた。でも、それくらいならまだいいほうらしい。よく見てみると、壁や床にボンドが付いたままだったり、風呂場のタイルが欠けていたり、窓枠にコンクリートがべったりついていたりして、ちょっと荒っぽい作業がわたしを悲しくさせた。-マンションのチェックをしているうちに、また新たな傷や汚れを見つけたりして、まるでイタチごっこのようだった。いちばん驚いたのが、オプションで付けてもらったトイレの手すり。「ちょっとグラグラしているような......」そう思って体重をかけたら、「ボリッ」と鈍い音を立て、手すりが取れてしまった。もし体の不自由な人が使って怪我でもしたらと思ったら、怖くなった。「何のための手すりか、よく考えて取り付けてください!」作業を担当していたおじさんに、ちょっと強気に言ってみる。「わかりました。すみませんでしたねえ」内装工事のおじさんは、感じのいい人だった。それからも、何だかんだと素人の目線で口出しし、あちこち直してもらったが、幸いなことに、いやな顔もされずに聞いてくれた。たぶん専門家が見たら、もっとあっただろうと思う。引き渡しまでに、結局3度足を運んでチェックした部分を直してもらい、一応完了という形になる。そして、内覧会の空いた時間に、カーテンの寸法や、洗濯機や冷蔵庫などを設置する場所の寸法を測った。いよいよすべてが終わって、あとは鍵の引き渡しを待つのみだった。 買ったままのビニール袋に入れたままでは、いるのを待つだけだ。かといって、出したままでも、じゃがいもやニンジンはしなびてしまう。これらの野菜は、風通しのいい涼しくて暗い場所に置くのが鉄則だ。玉ねぎは、はき古したストッキングに入れてぶら下げ、じゃがいもは古新聞で作った保存袋に入れておく。ニンジンも、じゃがいもと同様に保存袋に入れて冷蔵庫で保存すると、かなり長持ちする。ただ、長持ちするからといっても、早く食べるに越したことはない。さらに、買ってきたものをできるだけ使い回すよう、いろいろ挑戦してみた。たとえば、ほうれん草はかつお節をかけてお浸しとして食べてもいいし、ベーコンを入れてバターソテーにしてもいい。みそ汁などの具にも重宝する。大根の葉は、炒めものやみそ汁の具にし、大根は煮ものや大根おろしに。大根おろしの汁も捨てずに米と一緒に炊くと、ごはんに甘味が出ておいしくなる。大根の皮はキンピラ風の炒めものにしたり、干して切り干し大根を作ったりして、残さず使った。野菜が少しずつ余ったら、みじん切りにしてコンソメスープで味をつければ、おいしくてヘルシーなスープのでき上がりだ。「ちょっと今日はあまり体調がよくないなあ」こんな日は、残り野菜のスープを作って食べた。体にやさしいし、温まる。疲れたり、ストレスがたまっているときに食べると、何だか元気が湧いてくるのだ。「やればできるんだ。それに、みな結構おいしい」ちょっとした工夫で食費を節約できたことが何よりうれしかった。 「玄関」って何だろう。冷たくいってしまえばそれは「出入口」にすぎない。いま、おかおかたのマンションの玄関を思い起こしていただければ、まさに「出入口にすぎない」と納得されるだろう。けれども、ほんとうに「すぎない」で済むのだろうか。「出入口」であるからには、ヒトの、モノの、情報の出入口でもあるわけで、いいかえれば、そこに住む人の「知的、社会的、経済的な暮らし方、交流のあり方」などによって、空間的な大きさ広さも、機能的、質的なこともすべて異なってくる。たとえば、自宅をオフィスと兼用しているような場合なら、玄関は、人の出入りだけとではなく、そこで簡単な打ち合わせができる接客空間でもあるわけだ。打ち合わせができる簡単な椅子、テーブルが置けるくらいの、ある程度の大きさと、》書類や手荷物が置けるベンチや棚なども必要になってくるだろう。またたとえば、人を家の中に入れるのがうっとうしいと思う人もいるだろう。そういう人は、友人と会ったりもてなしたりといった交際や交流は外(街)で済ませている。「その場合、玄関は、自分の出入りを中心にした「出入口」でいいわけで、「出入り」という行動、動作に必要なだけの広さと機能(靴収納、ロッカー、鏡)さえあればこと足りるとはいえ、やはり玄関は昔からいわれてきたように、「家の顔」であることも事実なのだ。外(社会、街)と内(家、自分)との接点に玄関という場があって、だからそこは、実は「自分のあり方=顔」がはっきりと目に見えてしまう場でもある。心豊かなのか、心が荒れて貧しくなっているのかまでが、知的、社会的、経済的自分のあり方と関わって見えてしまう場なのだ。「花一輪飾るゆとり」が大切な場なのだ。【小さなコメント】・最小限のスペースは、タタミ一畳分くらい。・必要機能は、靴・傘・コート収納ロッカー、鏡、花一輪のための棚。・玄関フロアーの高低差については、日本の暮らしの場合、まったくフラットというわけにもいかないだろう。三センチくらいがいちばんつまずきやすい。はっきり目で確認できるくらいの高低差が高齢者にはわかりやすい。その場合、靴の着脱の動作がしやすいように「つかまる所手すり」等が必要。高低差の大きい場合は、踏み石的なもので中間の高さをつくる。車椅子使用の場合には、スロープ状のもので段差を解消するなどの工夫が必要。 台所は安全第一と、母親の強い抵抗にもかかわらず、調理用レンジは電気に変えてある。母親はいままで長年使いなれた都市ガスにしたいと主張したけれど、京子さんの強い反対に、とうとう折れたというわけ。-改築後二年目を迎えて、ようやく電気調理台に少しは慣れたもよう。このごろはよくできていて、電気を入れっ放しのときは赤字でサインが大きく出るようになっていたり、声の出るものまであったりで、安全は行きとどいている。・私の父はその反対で、娘たちの勧める電気に強い抵抗を示し、断固として、使いなれた都市ガスを調理には使いこなし、八九歳まで貫き通した。現在、焦げつき消火機能がついて、料理が焦げつきはじめるとセンサーが感知して自動的にガスが止まったり、また天ぷら油火災防止機能もついており、二五〇度で自動消火して、油火災を未然に防いでくれたり、空だきも自動的に防いで止まるようになっていたり、安全対策は年々進歩している。電気とガスと、どちらが安全でどちらが危険といいきれないところもあり、それは使う人の慣れが基調になるのではないだろうかと私は思う。食堂は六~七人がゆっくりと円テーブルを囲め、中庭が眺められるようになっており、ここが母娘の接点になっている。和室には広縁があって庭に出られるようになっており、母親のお気にいりの部屋ともなっている。完成して住みはじめたときは、なんとなく気持ちが落ち着かず、使い勝手がわからないで、まごついたが、やっとこの家になじみ、住みなれて、娘の京子さんのやさしい心根も理解でき、いまは快適に住みこなしている。 愛甲さん夫婦はこうして、お互いがいちばん住みたい家をそれぞれにつくったわけだ が、それには長年住んだ一軒家を売る決断がいった。五〇歳半ばのぎりぎりの選択であり、もし、仮に姑が共に住んでいたら、こんなに思 いきったことはできなかったと、愛甲さんは述懐している。愛甲さんのマンションは、頭金こそ夫に出してもらったが、あとは二〇年のローンを 組んで、自分で返済しているという。 五〇代からは夫婦といえども、自立独歩というのが愛甲さん夫婦の生き方である。 あちこちに家をもつ愛甲さんにとって、終いの住みかはどうなるのか。もし、どちらかが倒れたり、ひとりで生活できないようになったら、そのときは夫婦でまた相談し、 二人で助けあい、どうするかを考えることになるだろうが、いまは、マンションが家族 の中継地点であり、互いを結ぶ要になっており、愛甲さんだけではなく、家族にとって も、大切な愛のステーションとなっている。どちらも加齢生活を考えた設計だから、そ のときの二人の状況で柔軟に対応できるわけだ。二人にとってFAXと電話は欠かせないもので、互いに絶え間ない交信が行き交って いる。もうひとつおもしろいのは、愛甲さんのためのクローゼットが白浜にもつくられてい るという。最初、「クローゼットだけはつくってくださいね」と頼んだら、「これ以上、 まだ洋服を買いこむ気かい?」と夫をあきれさせたという。愛甲さんの職業柄、どの家にも愛甲さん用クローゼットのスペースが必要だ。 仕事で夫婦でパリに出かけたとき、愛甲さんが昔同様、衣服を買いまくるのを見て、 夫は「君からしゃれっ気がなくなるときは、若さと魅力がなくなるときだね。まだ君は 若いよ、そして女性だよ」とつぶやいたという。 しかし一七坪そこそこのスペースを住みよくするには、なかなか知恵と技術が必要である。ただ、快適にするというだけでなく、これから先、どんなふうに住みたいのか、どんな暮らし方をすればよいのかを自問自答した。何ヵ月も時間をかけて考えた。家族のいないシングルの私は、誰に相談する必要もなく、自分の思うまま、自由自在にリフォームすればいいようなものだが、それがかえって決めがたく、考えあぐねた。たかがリフォームと軽く考えていたけれど、さて、自分のこととなると単なるリフォームだけではすまず、自分自身の終極の生き方にぶっかったわけだ。生き方をしっかり考え、定めなければ、住まいは決まらないことに気づいた。五〇歳からの住まいは老後の生き方そのものなのだと。ちょうど母が亡くなり、父ひとりが残され、名古屋でひとり暮らしをはじめたころだったから、いずれ父を引きとるとしたら、どうなるだろうか、四階建ての三階部分でエレベーターがないことが気になってもいた。父を引きとるなら、庭つきの家のほうがいい。しかし、庭つきの家は東京都心から30キロ、いや五〇キロ圏も遠く離れなければ買えない。だが、それは職住近接を望む私のビジネスライフとは相容れない。そのことも父ときちんと話をしておかなければならないと、心のどこかでひっかかっていた。そのように父のこともあって、自分の思うようにすればいいと思うものの、片や心の片すみで、もしも父が同居するとしたら......と、どうリフォームするか決断がつきかねていた。父と私は向きあってこれからの生き方を二人でとことん、話しあってみた。一八三歳の父は、「私は同居しない」ときっぱりいいきった。まず一番目の理由として、住みなれた名古屋を離れないとはっきりと断言した。二番目の理由として、私のところは東京の西洋長屋、つまり集合住宅で庭がないことをいやがった。父は盆栽を趣味とし、母生存の折には100鉢以上の盆栽を楽しみ、庭の植木にも愛着をもっていた。そして、三番目の理由は、東京には一人の知人、友人もなく、その上に、仕事に追いまくられている娘の私と同居することはまず考えていないともいった。そんなわけで、もしもひとり暮らしができなくなっても、東京で私と暮らすつもりがないことがはっきりした。ようやく私は父のことを考えないで、自分だけの生き方を考えればいいという結論に達した。

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