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中世都市が近世都市に変貌する

2017年7月23日「日曜日」更新の日記

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都市ウルの後にはペルシャ帝国が、そしてローマ帝国が、唐が、世界的な版図の帝国を築き、帝国はその頂点としての首都を初めとする都市を、その支配下に築く。  最盛期のローマには百万以上の人々が住み、1年の182日に及ぶ祭日には無料の催し物がコロッセオや劇場で催されていた。コロッセオには五万人、各劇場には1万から2万5000人以上の人が剣闘士の戦いやキリスト教徒の惨殺を楽しんでいた。テベレ河岸には人々を楽しませるための模擬海戦場まであったのだ。今世界中の観光客がコンドッテイやビア・デルーコルソの買い物の合間に、そのフォロロマーノやコロッセオに昔を偲んで歩くし、かつての競技場をそのまま広場にしたナポナ広場は今や市民の憩いの場である。  店の都長安にははるか西のペルシャあたりから流れてきた女たちが、これも中東伝来のグラスに酒を満たして、艶めかしい媚びを売っていたし、その故郷ペルシャの世界の半分と名付けられたエスファハンには壮麗な王のモスクから王の広場、並木、公園、神学校、寺院で埋めつくされた中に、実に千八百もの隊商宿があって、こちらは逆に東から玉や絹布を運んできた商人たちが、その中庭で羊をあぶって宴会を開いていた。モスクは今もモスクとして丁重に使われているし、キャラバンサライ(隊商宿)のいくつかはそのまま建て直されて近代的なホテルになっている。  パリにカフェが現れるのは+7世紀。オスマンによって無残に中世都市が近世都市に変貌する前のパリ、道は今でもマレー地区に見られるように狭く曲がりくねり、そのあちこちに始まったカフェはパリが近代化するにつれてその新しい施設として拡大され、人々はそこに集まって評判のお芝居やオペラの評、政治批判に花を咲かせていた。

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