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炭鉱節が流行った理由

2017年7月8日「土曜日」更新の日記

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 1945年の敗戦をきっかけにして、日本は文化から生活まですべて大きく変わったが住宅供給もここで大転換する。この時点で、戦災によって焼け出された人や海外からの引揚者等で、約四百20万戸の住宅が不足していた。本来ならばここで、人々が住む家を供給することが国の最優先されるべき政策だったどもかかわらず、日本政府は残った金と、世界中から集まった復興資金の大部分を炭鉱と製鉄に投入する。  つまり、筑豊の炭鉱に投入した資金で石炭を掘り、その石炭を八幡製鉄に運び鉄を作る。 八幡で出来た鉄を筑豊の坑道に戻し、石炭の増産を図る。これをくりかえすことによって、日本の工・鉱業生産は約5年で戦前のレベルにまで回復する。つまり5年間という短い期間で日本の2次産業は復活してしまうのだ。そのうえ1950年には朝鮮戦争が起こり、日本は特需景気にわいてさらに経済復興にはずみがつく。この資金をすべて九州に集めたので「傾斜生産方式」と呼ばれるこの方式が、「なぜ、お父さんたちはみな炭鉱節を知っているか」というサブタイトルが付く話になる。  それほど秀れた民謡ともいえないあの歌を、われわれの世代のお父さんたちが知っている理由は、当時某テレビ局には政府の要請による「農家のみなさんこんにちは、一日お仕事ごくろうさん」で始まる農村向けの。農家のいこいと、「炭鉱戦士を激励する」職場のいこいという2つの番組があって、その番組のテーマミュージックが「月が出た出た、月が出た……」という三池地方の民謡である炭鉱節であったからだ。この番組は、「日本復興のために3井3池の戦士たちが黙々と石炭を掘っています」といった内容で、そのため、われわれ小学生は、「炭鉱のみなさんを激励する」作文などを借かされたりしたもの。

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