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中流意識から庶民的意識へ

2017年5月14日「日曜日」更新の日記

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近頃私自身が妙に力が抜けて楽になることができる上に、リラックスすることができる単語に"庶民"があります。その響きから漠然と子供の頃を思い出し、経済的には決して豊かとは言えませんでしたが(ご両親様すいません!〈笑〉)精神的には満たされていた不思議な感覚が甦ります。庶民とは、人口の多数を占める一般的な人々のことで平民などが該当し、貴族などの特権階級に対して、一般階級の人々を指すことが多い。現代社会においては一般市民とも呼ばれることも多い。また、庶民と言う言葉を大衆と同義で用いられることもあるが、厳格に区別して用いられることもある。庶民は、風俗の担い手でもあり、民俗学や文化人類学などにおいても注目されている。(フリー百科事典「ウィキペディア<Wikipedia>」より)とありますが、ここでは私が勝手に、「人情に溢れ、慎ましい生活の中で声をかけ合い、心をくばり合い共に助け合う人々」とでもしておきましょう。また、近頃私自身が妙に違和感を覚え、疑問に思い、時に空虚な気持ちにさえさせられてしまう単語に"中流意識"があります。その意識は大学まで卒業させていただき、就職、結婚、子供に恵まれ、マイホームを取得してもなお、次から次へと新しいものを求めていました。(ご両親様すいません!〈泣〉)昭和52年、国民の9制が中流意識を持っていることを明らかにしたのは、内閣広報室の調査でした。生活実感としてそれほど豊かさは感じられませんでしたが、中流意識は生活に迫いかけられる苦しさとは違い、常に充実した楽しいライフスタイルを念頭に置いています。内閣府の「国民生活に関する世論調査」において生活の程度を「中の中」と答えた比率はほぼ一貫して上昇を続け、「一億総中流」という言葉の出現時期はどうあれ、中流意識は高度経済成長の中で国民全体に広がり、国民意識としての「一億総中流」が完成され、少なくとも2008年まで続いていると考えられる。「中流」がどの程度の生活レベルなのかの定義もないまま、自分を中流階級だと考える横並びな国民意識が広がったのは、大量生産によって商品の価格が下がったこと、経済成長によって所得が増加したこと、終身雇用による労働者の信用の増大で信用販売が可能になったこと等により、それまで上流階級の者しか持ち得なかった商品が多くの世帯に普及したためと考えられる。一億総中流社会では、マイホームには住宅ローン、自家用車にはオートローン、家庭電化製品には月賦などが普及し、さらに、使用目的を限らないサラリーマン金融も普及して、支払いきる前から物質的な豊かさを国民が享受できる消費社会になった。(フリー百科事典「ウィキペディア<Wikipedia>」より)ともある一文を読んだ時に、自らの体験、反省を含めてではございますが、まずは中流社会から脱却し、中流意識を捨て去り、庶民的意識へ移行し、庶民的発想を考え方の基軸として未来を切り拓くことが成熟社会にふさわしい豊かな住生活の実現に結びつくものと確信しました。(決して江戸の庶民になろうと言っているわけではありませんよ!〈笑〉)住宅ローンについては後述いたしますが、支払いきる前から感じることのできる豊かさは幻想であることに気付きましょう。幻想を追いかけ、物欲を満たすことに執着するあまり、実は生活に追いかけられている苦しさに気付きましょう。そして、コミュニケーション不足による希薄な人間関係が更なる不安を募らせていることに気付きましょう。今、私たちの住宅の環境について考えてみると、『家のまわりは親の目が届くか、親がいなくても安心して子供を遊ばせておけるか、数日不在にする時はどうか、隣人との日常的な交流はあるか、お互いに助け合える関係があるか」「子供にとって、働く親たちにとって、高齢者にとって、本当に安らぎのある環境といえるであろうか」「コミュニケーション不在の住環境が非行や犯罪の温床となり、不安と閉塞感を募らせていくのではないか」等、個人の生活に追いかけられている苦しさ(時間的ゆとりのなさ)に起因していると感じることが多いのです。ぜひ、最後までお読みいただき、"庶民の選択"をして、幸せになりましょう!

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