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利益率を無視した地価

2017年3月31日「金曜日」更新の日記

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土地というのは、もとを正せば「単なる地面」であり、地球の表面に存在する土の部分です。南極大陸もチョモランマの頂上も、そして都会の真ん中も自然科学的には同じ地球上の地面です。そこに大きな価値の差など存在しません。しかし、人が住み経済の視点から土地を捉えると、同じ土地でもその価値は違ってきます。本来、地面に値段などついていません。自由主義経済における需要と供給のバランスが、同じ土地の間に価値の差を生み出しているわけです。その土地を欲しい人がいれば土地の価値は上がり、誰も見向きもしない土地は安くなります。言い換えれば、人口密度が高ければ高いほど土地の価値は高まり、その土地を手に入れようとする人が増えます。ではなぜ、そうした土地を人は欲しがるのでしょう?それはその土地が利益を生み出すからにほかなりません。土地の利益率がその土地の価値を決めるのです。ただし、その土地の値段が最初に決まっているから、その土地で売る物品・商品の値段が決まるわけではありません。同じ商品の値段が、土地の値段によって変わるわけではないのです。マクドナルドでもコカーコーラでも、場所によって値段が変わるわけではありません。その土地を手に入れた人は、その価格に見合った商売をしようとするでしょう。赤字になるような投資効率の悪い商売というのは、売るものを間違えているか、もしくは土地を高く評価しすぎているかです。そのような場合は、市場から撤退するはめになってしまいます。ところが、バブルがはじまり自分の土地の値段が上がって、みんな自分が資産家になったと勘違いしてしまいました。もうこうなったら土地の「投資効率」や「収益還元率」など関係ありません。隣の土地はいくらだから、自分のところはいくらになったの世界です。まわりに人がいなくなろうが、いずれ相続のときに没収されるおそれがあろうが、そんなことはおかまいなしです。見栄の張り合いです。しかし、土地は活用してはじめて本来の価値を生むものであって、いうなれば個人はその使用権を認められているようなものなのです。もし、東京のど真ん中も自分以外に人が住んでいなければ、これほどまでに誰も所有権を主張しないでしょう。利用価値があるからみんな死に物狂いで守ろうとするのです。ただ、見栄を張りたいだけです。生活権があるからというかもしれませんが、生活するだけなら世界中どこでもできます。それは生活権ではなく、いってみれば"見栄張り権"なのです。都会の生活はまったくの他人が、肩を並べて秩序正しく生活しています。隣近所に気兼ねせずに気軽に暮らせます。隣の人が何をしているか知らないそれが現代都市生活の利点です。都市生活-それは確かに現代人にとっては生活しやすい環境かもしれません。でも、それが自分の年収の何十倍ものお金を支払わなければ得られないものだとしたら、それほどまでに固執する意味があるでしょうか。そして、バブルははじけました。土地の値段が下がりはじめました。

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